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音楽レク【西洋の歌に日本語の歌詞がついた曲】
明治維新後、永い間の鎖国を廃止し、西洋の文化が流入してきました。
学校教育にも音楽の時間が必要だということになりましたが、教えようにも教師が音楽を知りません。
そこで井沢修二を中心とした「音楽取調掛」ができ、最初の「唱歌集」ができました。
![](https://assets.st-note.com/img/1681035917787-KjP22tOlhf.jpg)
初期は西洋の曲に日本語の歌詞をつけたものが多く、日本人の作った曲は少なかったのです。
だんだんに日本人による「唱歌」が生まれましたが、ほとんどは作者不詳となっています。
これは当時は著作権という考え方も無く、学校教育で使うということから、作者を明らかにしない方針だったからです。
唱歌は高齢者の方々の記憶に深く刻み込まれています。
認知が重い方も、懐かしいメロディを聞くと、かなり早い段階で脳が活性化し、歌詞を思い出すことができます。
そして歌えば、不穏さや無表情さがなくなり、目に光がともり笑顔が表出します。
これはみなさんも何度も経験していることでしょう。
豊かな和声の音楽はとても美しく、私たちの心に響きます。
心が浄化されていくような感じがします。
今回はそんな清らかな心になっていただこうと
「西洋の曲に日本語の歌詞が付いた曲」のプログラムを作ってみました。
このプログラムが終わった後に「今日は格が上がった」と言った方がいました。
満足されたことと思います。
旅愁
犬童球渓訳詞 オードウェイ(アメリカ)作曲 明治40年
オードウェイはフォスターと同時期の作曲家です。
ベートーヴェンの第9交響曲が初演された年(1824年)に生まれました。
もう日本の曲かと思われるほど定着している曲ですね。
埴生の宿
里見義訳詞 ビショップ(イギリス)作曲 明治22年
この曲について興味深い説明があります。こちらをお読みください。
ビショップが生まれたのは1786年、モーツァルトが活躍していた頃です。
![](https://assets.st-note.com/img/1681035917756-AejBp92G8Z.jpg)
私がこの曲でいつもおもいだすのは「ビルマの竪琴」です。
第2次大戦中、戦況があやしくなった状況下で、ビルマを日本兵の一団が国境を目指しています。
食べるものや寝床は現地の人たちの施しを受けていました。
そんな時、彼らはイギリス軍に囲まれてしまいます。
そのことに気づいていない振りをすることが目的で「埴生の宿」を歌うと、思いもよらずイギリス軍からも「Home Sweet Home」の歌が返ってくるのです。
とても感動的な場面です。
音楽には敵も味方もないのです。故郷を思う気持ちも一緒です。
蛍の光
稲垣千頴訳詞 スコットランド民謡 明治14年
卒業式で歌うほか、お店の閉店時にも使われますね。
お別れの歌です。
2番、「かたみにおもう」は「互みに」、
「さきくとばかり」は「幸くと」と漢字にすると意味が分かりますね。
真白き富士の根
三角錫子作詞 インガルス(アメリカ)作曲 明治43年
長い間作曲者はガードンということになっていたが、研究の結果、「garden」という名の讃美歌だったということが判明。
インガルスは1764年、アメリカ独立戦争の20年ほど前に生まれました。
この歌詞は、明治43年に起きた、逗子開成中学のボート転覆事故で亡くなった12人の学生を悼んで作られました。
星の界
杉谷代水作詞 コンヴァース(アイルランド)作曲
コンヴァースが生まれたのは1832年、
安藤広重の東海道五十三次ができた頃、
フランスで7月革命が起きた頃です。
讃美歌「いつくしみ深き」のメロディに杉谷が詩をつけました。
この歌を歌うと、難しい言葉の意味を尋ねられる時があります。
「無窮」=「無限」
「棹させよや」=「棹を使って流れに乗って船を進める」
「窮理」=「物事の道理を追求すること」
ローレライ
近藤朔風訳詞 ジルヒャー(ドイツ)作曲 明治42年
高齢者の方はこの歌をとてもよく知っていて、そして大好きです。
ジルヒャーは1879年、フランス革命が起きた年に生まれています。
![](https://assets.st-note.com/img/1681035917771-JcmwY7ggyR.jpg)
ライン下りを楽しみ、この岩を見たことがある、という方は結構いらっしゃいます。
野ばら
近藤朔風訳詞
ウェルナー(ドイツ)、シューベルト(オーストリア)作曲 明治42年
ゲーテの「野ばら」にいろいろな作曲家が曲をつけました。
有名なのはウェルナーとシューベルトでしょうか。
高齢者の方にお聞きすると、シューベルトの方が馴染みがありました。
シューベルトは1797年、ウェルナーは1800年に生まれました。
菩提樹
近藤朔風訳詞 シューベルト作曲 明治42年
ドイツの詩人ウィルヘルム・ミューラの詩にシューベルトが曲をつけました。
歌曲集「冬の旅」の第5曲です。
シューベルトは歌曲王とも言われ、たくさんの歌曲を残しています。
大学時代、グリークラブに所属していた方が、ドイツ語で歌ってくれました。
故郷の空
大和田建樹訳詞 スコットランド民謡 明治21年
この曲もとても馴染みがあります。
軽快なリズムで、気持ちもウキウキしますね。
一度歌ってからベルの左右奏をしましょう。
楽器活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。
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