上岡龍太郎さんがキレた‼️
上岡龍太郎さんが逝った。僕は上岡さんは「不老不死」だと勝手に思っていた。
58歳で芸能界を引退されてから81歳で亡くなるまで公言されていた通り、横山ノックさんの告別式など数少ない機会を除いて、公の場に出られる事は無かった。
「親族だけの密葬」で済ませ、「お別れの会」も開かないというのも上岡さんらしい。
僕は30年程前、「EXテレビosaka」で2年間、上岡龍太郎さんと仕事をした。
それまでの僕は「朝の連続ドラマ」をやっていて、ドラマが無くなるという事で「EXテレビosaka」に異動になったのだ。
「EXテレビosaka」の番組コンセプトは「今までのテレビをぶち壊す事」。そんな番組で、僕がディレクター出来るか、非常に不安に思っていた。はっきりいうと、別の番組に異動したかった。
火曜日の「EXテレビosaka」は生放送。
上岡さんが一台のテレビカメラに向かって、一人で喋るだけの一時間。上岡さんは少し緊張感を持って、喋り続けた。他にこんな事が出来る芸人さんはいないだろう。
関西人にとって、上岡龍太郎さんは無くてはならない存在だった。「探偵!ナイトスクープ」(ABCテレビ 1988〜)の初代局長。「ノックは無用!」(関西テレビ 1975〜1997)の「立て板に水」の「魅惑の変身」賞品紹介。
そして、伝説のトーク番組「鶴瓶・上岡のパペポTV」(読売テレビ 1987〜1998)。上岡龍太郎・笑福亭鶴瓶のトークは極上な漫才だった。
武道館でもライブをし、さらにアメリカ・ニューヨークのカーネギーホールでもライブが行われた。
視聴者からの再放送やDVD化の要望は未だに強いが、実現していない。
上岡龍太郎さんは「カミソリ」の様な人だった。「EXテレビosaka」で上岡さんがスタジオ入りすると、スタッフの間に緊張が走った。いつ、どんな理由で「キレる」か分からない人だったから。
「キレる」のは「上岡龍太郎さん自身のルール」に外れたかどうか。そこだけは非常に明快だった。
「和歌山県には『視聴率調査機』が置いてないから、和歌山の人はこの番組を観なくて結構です」(真実かどうかは定かでは無い)
生放送で上岡さんが発した一言。局には多数のクレームが寄せられたが、この発言に対する上岡さんの姿勢は「EXテレビosaka」という番組が終わるまで変わらなかった。
上岡さん自身は「シャレ」だと思っていたのだろう。
ある時、「EXテレビosaka」で「録って出し(放送と同じ長さで収録して、そのまま編集せずに放送する事)」する事になった。夜に収録して、その日の深夜に放送するのである。
収録は順調に進んでいた。メインのフロア・ディレクターはN君。
そろそろCMに行かなくてはならないので、N君が上岡さんに両手で◯を作り、このコーナーがOKであるサインを出した。
それでもCMに行かない。これ以上「押す(スケジュールが遅れる)」と後のコーナーに影響する。
N君は上岡さんに両手で大きく×を出した。何とかCMに入った。
すると、上岡さんがスッとMC席を立ち、N君の所にツカツカと歩み寄り言った。
「このスタジオをお前が出て行くか、俺が出て行くか?」
MCの上岡さんのプライドを傷つけた様だった。
N君は僕に後を任せて、スタジオから走り去った。
突然、僕はメインのフロア・ディレクターになった。しかもMCの上岡さんは怒っている。
ドキドキしながら、役目を務めた。
放送まで時間が無いので編集は出来ない。収録が時間内に入らないと「放送事故」になる。
最後のCMに入り、タイム・キーパーから、ラストのコーナーの時間が1分37秒であると連絡が来た。
僕は恐る恐る上岡さんの横に行き、その時間を小声で伝えた。
上岡さんは、「さっきキレた事」が恥ずかしかったのだろう。僕の方を見ず、前を向いたまま、「うむ」と軽くクビを縦に振ってくれた。
僕は上岡さんに「秒読み」。上岡さんはきっちり時間通りに番組を終わってくれた。
上岡龍太郎さんは「どこか子供の様な人」だと僕は思う。可愛らしさがあった。
もう「上岡龍太郎の様な芸人」は二度と出ない。
「偉大な『芸人』の死」。
それが僕に大きなショックを与えた真の理由かも知れない。
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