映画会社

「いつ頃からこの『仕出し(エキストラの派遣業)』やってはるんですか?」
僕はロケ現場でヒマにしていたので、京都の「エクラン社」のおばさんに立ち話でそう聞いた。

「溝口健二監督の時代からです」

溝口健二(1898〜1956)は、各映画会社を渡り歩いて、最終的に大映京都撮影所の大巨匠になった日本を代表する監督。代表作に「西鶴一代女」(1952)、「雨月物語」(1953)などがある。

半世紀以上前から撮影現場に「エキストラを入れていた事実」に僕は尊敬の念を抱いた。

京都のエキストラの凄いところは「自分の役割がよくわかっている事」。

当たり前の様だが、時代劇を撮る際は朝早くから「メイク」「衣裳」「床山(カツラをつける所)」に入って効率良く準備をしなければならない。同時に大人数のエキストラがこの準備をする場合もある。プロの仕事をしなければ成立しない。

大阪のエキストラはサラリーマンやOL、学生などが副業としてやっているので、この「プロ感覚」は無い。

京都でロケ地が移動する場合はロケバスを追いかけて、エキストラ全員、大群の原付バイクで移動。時代劇のカツラと扮装姿で。それが許されるのが京都である。

時代劇の「夏祭り」のシーンがあるとする。

時代劇作りに手馴れた「助監督」と「エキストラ」はカメラの画角を察知して、わずか30人程度で「大変賑やかで人がごった返している夏祭り」を最も簡単に作ってしまうのである。

その為には、一度画面からハケた(外に出た)エキストラが瞬時に一部の衣裳を取ったり着たりして、別の職業の人物となって、画面を「横切る」のだ。カメラから見て、「縦」に歩く事もある。歩くスピードも変えながら。

これも京都という土地に「東映」「松竹」「大映」、古くは「日活」という撮影所があり、たくさんの映画が量産されていたからだ。

ハリウッドもそうだが、メジャーな映画会社(パラマウント、ユニヴァーサル、ワーナー、20世紀フォックス、ユナイテッドアーティスツ、コロンビア、MGMなど)の撮影所で撮影が行われていた時代はキャストやスタッフ、エキストラに至るまで、「プロ」と呼ばれる人々が存在していた。ハリウッドでも「映画会社以外の外注作品」が急速に増える流れの中、この「撮影所システム」は崩壊していった。

日本映画に話を戻そう。

溝口健二監督の撮影方法の特徴は「ワンシーン、ワンカット」の長回し。

その長回しの映像にも、半世紀以上前の「エクラン社」のエキストラの姿が刻みつけられていると思うと何だかニヤニヤして来る僕がいる。

日本で「撮影所システム」が無くなり、各映画会社が「配給専門」になってから、映像ソフトを作る体力も衰えた。アニメーションを除いて。

これから間違えなく、「世界へ向けた映像ソフトの配信の時代」が来る。

そんな今、「撮影所システム」を復活させてもいいのではあるまいか。「プロ」のキャスト・スタッフを育てる為にも。

小さい頃からの映画ファンである僕は映画上映の冒頭、暗くなった映画館でスクリーンに映し出される「映画会社のマーク」を見て、「これから楽しい世界に映画が誘ってくれるドキドキ感」を毎回味わっていた。

ワーナーブラザーズと20世紀フォックスが共同製作したパニック映画の金字塔「タワーリングインフェルノ」のアタマにどちらの映画会社のマークが出て来るか、そんな事が異常に気になる少年だった。

あのドキドキ感をまた味わわせて欲しい。

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