山田太一と「弱者の反抗」

脚本家・山田太一がテレビドラマに遺した大きなもの。

山田太一の師匠である映画監督・木下惠介は「二十四の瞳」始め、様々な映画で「堪え忍ぶ弱者」を描いた。

「二十四の瞳」。高峰秀子演じる小豆島の分校の女教師・大石先生は、太平洋戦争に巻き込まれていく「自分の教え子達」に懸命に寄り添った。

自分達ではどうしようもない「戦争」という事象、「悲しすぎる運命に翻弄される教え子達」と共に泣いた。

黒澤明監督作品が「勝者」の「男性的な映画」ならば、木下惠介監督作品は「弱者」を描く「女性的な映画」だと僕は思う。

しかし、山田太一は師匠より一歩踏み込んだ「ドラマの世界観」を見事に描いた。

その時々の「社会的問題」をさりげなく取り上げ、「弱者」の「痛み」を掬い取り、「弱者」「敗者」の「反抗」をドラマで堂々と描いたのである。

木下惠介監督のシナリオ作り。

木下監督が口述する事を助監督が書き留めてゆく。

シナリオ作りで、布団に寝そべっている木下惠介が寝てしまう事があった。

口述筆記をしていた助監督の山田太一は、その隙を見て、自分なりの「その後の映画の展開」を紙に書き出していたと自らのエッセイに書いている。

しかし、起きて来た木下惠介の語る、その後のシナリオの展開は山田太一が想像していたものを必ず凌駕し、面白かったという。

だから、プロとして独立した山田太一は師匠と違う道を模索したのでは無いだろうか?

それが先程も書いた「今の社会」を描く事であり、「弱者の反抗」だったのではないかと僕には思えてならない。

一昨日、NHK「クローズアップ現代」が山田太一を扱った。

その中で、代表作「男たちの旅路」の「車輪の一歩」のラストシーンが放送された。

車イスに乗った障害者役・斉藤とも子が駅前で叫ぶのである。

「車イスを持ち上げてもらえませんか?」

だんだん、その声は大きくなる。放送当時、全くバリアーフリーでは無かった社会で、周りを歩く人たちが次第に集まり、懸命になって、彼女の重い車イスを駅の改札口まで持ち上げるところでシーンは終わる。

スタジオの是枝監督も言っていたが、今の社会、車イス用のエレベーターや各種サービスは完璧なまでに整っている。

しかし、周りの健常者の人々が昔ほど、障害を持つ人々に気を遣う社会になっているのだろうか?

設備さえ整えれば、それで終わり。

脚本家・山田太一は今、どんな「社会の違和感」を感じ、それに「反抗」するドラマを書くのだろうか?

それでもそれでも、
山田太一の「シナリオ」は優しい
のだ。

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