同志社女子大学の「イルカ」のコンサート
今年はシンガーソングライター「イルカ」の歌手活動50周年だそうだ。
73歳になられるという。
息子の「冬馬(とうま)くん」はウチの長女が通っていた調布市の「緑ヶ丘幼稚園」の卒園生。
1978年、6年間、中学・高校と「男子校」で過ごした僕は大阪大学経済学部に入学した。
でも、文学部や薬学部なら「女子」が多いが、経済学部は200名中、女子は40名程度。
だから、その年、僕は「共学出身」の同級生の伝手でせっせと「合コン」に励んでいた。
その中で、「同志社女子大学」の一回生とも合コン。
確か、まずは嵐山でボートに乗り、その後、河原町に出て、飲み会をした記憶がある。
僕と友だちの井田は「同志社女子大学」の「大学祭」に招待された。
普段、「男子禁制」の「同志社女子大学」の校内に入れるのだから、ワクワクドキドキ。
「大学祭」に誘ってくれた柴田さんというB型の子と中島さんというO型の子、そして井田の4人で、「大学祭」のメインイベントの1つ、「イルカコンサート」を観た。
休憩時間にトイレに行き、小便をしていると、目の前の窓から「イルカのコンサートの機材」を運んでいる「大型トラック」が見えた。
「大型トラック」の横には「イルカ全国ツアー」の英語の文字が。
膀胱から小便が減っていく快感を感じながら、僕の心の中には「歌手のコンサート」に初めて来た感動が徐々に湧き上がって来ていた。
「大学祭」の後も、この4人でご飯に行く機会が増えた。
食事は大概、京都で、二人を送って、近鉄奈良線の「菖蒲池(あやめいけ)駅」まで行った。
何度か会っているうちに、どうやら中島さんが僕の事を好きだという事に気づいた。
やがて、どちらからともなく、自然と手を繋いで、僕は「菖蒲池駅」から彼女の自宅まで行く様になった。
彼女のお父さんは「三和銀行」にお勤めだった。
自宅は新興住宅街にある一戸建て。
でも、その時、僕は彼女の親友の柴田さんの事を好きになっていた。
不思議なもので、僕は言い寄られると、なんだかそれが負担になっていくタイプ。
だんだん中島さんから心が離れて行くのを感じた。
ある夜、いつもと同じ様に彼女を送って行き、自宅近くの公園、ブランコに乗って、横並びに座った。
とても、長い沈黙のあと、僕は彼女に「やっぱり、付き合えない・・・」と言った。
自宅へ帰って行く肩を落とした彼女の後ろ姿は今でも僕の脳裏に焼き付いて離れない。
1ヶ月ほど経って、僕は「阪急石橋駅(現・石橋阪大前駅)」のホームの公衆電話から柴田さんの自宅に電話していた。
ドキドキした。
柴田さんの反応が怖かったのだろう。
とてもとても自分勝手だが、どうしても自分の気持ちを柴田さんに伝えたかったのである。
「私、親友を裏切る事は出来ない!」
柴田さんは電話でそう言った。
当たり前の事だ。
それからもいろんな大学と「合コン」をした。
経済学部の友だちは何故か、連絡先を訊こうともしないし、もちろん電話しようともしない。
でも、毎回僕は電話し、デートし、玉砕し、そして失恋した。
「神戸女子大学」と神戸・三宮で「合コン」した事があった。
一次会の居酒屋で、1人の女子大生がお酒を煽るように飲んだ。
当時流行っていた「一気飲み」だ。
彼女は、関西弁で言う「いちびり」だったのかも知れない。
二次会で行った喫茶店。
今、「ゼゼカラ」(小説「成瀬は天下を取りにいく」に出て来る最高のコンビ)で有名になった膳所高校出身の金子が突然、
「君、めっちゃオッパイおっきいやん‼️」
と言いながら、向かい合って座っていた、一気飲みの女の子の胸を思いっきり、強く揉んだ。
柔らかそうな手触りを僕は感じた。
僕は「こいつ、凄いなぁー‼️」
と感心してしまった。
タイミングを一歩間違うと、「痴漢」扱い、或いは女の子に叩かれてもおかしく無いし、女子全員から総スカンを喰う可能性も多々ある。
でも、胸を揉まれた女の子は酔っ払ってヘラヘラ笑っているし、他の女子も「引かなかった」。
その直後、一気飲みした女の子が上を向いて、まるで「火山の噴火」の様に、思いっきり、ゲロを吐き始めたのだ。
誰も止めようが無い。ゲロを浴びる者も続出。
僕たちは喫茶店のスタッフから大目玉を喰らった。
忘れられない。
国鉄須磨駅(現・JR須磨駅)。
電車を降りた金子と僕は意識を完全に失っている「ゲロ吐き女子大生」の死体の様に重い身体を引き摺って、神戸女子大学の「女子寮」に向かっていた。
生まれて初めて入る「女子寮」。
なんか、「女の子」の甘酸っぱい匂いがした。嬉しかった。
僕たちは「トド」の様な彼女を部屋に放り込んだ。
僕はホッとして、帰ろうとする。
金子が言った。
「女子寮に潜り込んで、このまんま泊まっていこうぜ‼️」
とても魅力的な誘いだったが、寮母や他の女子大生が騒ぎ出せば、
「阪大生、神戸女子大学の女子寮に潜り込む」という「破廉恥なニュース」になりかねない、
と「ビビリ」の僕は瞬間的に思ってしまったのである。
だから、僕は嫌がる金子の手を強引に引っ張って、JR須磨駅へと向かった。
もう、深夜になっていた。
大阪へ帰る終電が気にかかり、僕たちは歩くスピードを速めた。
そんな金子。
大学卒業後、女性下着メーカーである京都の「ワコール」に就職。
僕は「11PM」の取材で「ワコール」に行った時、「受付の女性たち」に金子の事を訊ねた。
彼女たちは「カラカラ」と口を開けて笑った。
「ナンパ」された事でもあるのだろうか❓
金子はその後、「ワコール」でいちばん美人と言われた女性と社内結婚した。
やはり、「女たらし」だったのだ。
何十年も経って、「Facebook」かなんかで金子の近況を知った。
彼はインドに行き、あの「サイババ」に魅せられ、日本で「サイババ」を広める「宗教の教祖」みたいな存在になっていた。
どうしたのだろう⁉️
1978年から今年、2024年。
46年という歳月は長くもあり、アッという間に過ぎた様にも感じる。
シンガーソングライター「イルカ」の歌手活動50周年を聞いて、芋づる式に思い出した事どもである。
※名前は全て「仮名」です。
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