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日本航空123便墜落事故

1985年8月12日、羽田空港18:00発大阪伊丹空港行き「日本航空123便」は「お盆」ゆえ、満員の乗客を乗せて、離陸した。

「日本航空123便墜落事故」を
知らせる日本テレビのニュース映像



僕は、夏の暑い日、仕事終わり、先輩のディレクター・喜多村健二さんと二人で、大阪市北区東天満にあったテレビ局から、強い西陽をを浴びながら、天神橋筋商店街の「居酒屋」にたどり着いた。

日本一長い「天神橋筋商店街」
「天神橋筋商店街」の居酒屋



キンキンに冷えたビールを注文。ノドを濡らして、一息ついた「その時」、店内のテレビに「日本航空123便の機影がレーダーから消えた」という「緊急速報」のテロップが画面に出た。

僕たち二人は不吉な気分に襲われながらも、ビールを飲み続けた。

翌日、僕はその「凄まじい惨事」を「テレビ」を通じて知る事になる。

「日本航空123便」の機体は「アンコントローラブル」に陥り、数十分、「御巣鷹の尾根」に墜落したのである。

御巣鷹山の墜落現場
(JALの文字が見える)
御巣鷹山の墜落現場
(JALの文字が見える)
御巣鷹山の墜落現場
御巣鷹山の墜落現場
乗客の遺書
生存者の1人、川上慶子さん
(当時14歳)
自衛隊のヘリコプターに
救助される川上慶子さん
日本航空123便
墜落までの航跡
生存者の1人
日本航空客室乗務員・落合由美さん
乗客の遺書
御巣鷹山の墜落現場
御巣鷹山の墜落現場



当夜、「米軍のヘリコプター」が「御巣鷹の尾根」で、「巨大な飛行機」が燃えているのを発見したが、何故か米軍基地に引き返している。

今、新刊で出ている青山透子氏の著書がAmazonでも売り切れになっている。本屋にも1冊も無い。

中曽根康弘首相(当時)
ロナルド・レーガン大統領(当時)



僕はまだ読んでいないが、「日本航空123便の墜落原因」は「自衛隊機の誤爆」でで、それを時の「日本政府」、つまり、「中曽根康夫首相」が「米軍」に依頼して隠したのでは無いかと言った内容らしい。

自衛隊機(イメージ)



当時は「ロン・ヤス」と言われた「中曽根康夫首相」とアメリカ大統領「ロナルド・レーガン」の「蜜月時代」だったのだから、そんな事も容易に出来たのかも知れない。

これから書く事は推測に過ぎないが、「日本政府」は「マスコミ」に強い「圧力」をかけて、「その事」を今に至るまで、「隠蔽」して来たのでは。

日本航空123便に乗っていて
亡くなられた歌手・坂本九さん
日本航空123便犠牲者の
棺が体育館に並んだ
現在の御巣鷹の尾根にある
慰霊碑
現在の御巣鷹の尾根にある
慰霊碑

そうした事が「事実」であれば、もう「御涙頂戴」の報道は全く必要無く、「日本政府」「日本航空」が行なった「真実」が白日の下に晒されるべき時期に来ているのであろう。

山崎豊子原作、映画「沈まぬ太陽」を「製作スタッフ」からも、様々な「映画作りの作業の過程」で、「見えない巨大な圧力」がかかったと聞いた。

お亡くなりになった「乗客」「じ乗員」の皆さん、そして「遺族」の皆さんには心よりお悔やみ申し上げます。

令和6年8月12日

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