西田二郎

「僕は西田二郎が大好きだ❤️」

彼には「テレ」がある。僕は「どんなに優秀な人」でも、「テレ」の無い人とは付き合いたくない。

10年位前の「ダウンタウンDXDX」、沖縄からの生放送で、「総合演出」の西田二郎は2時間、ディレクターの後ろに立ち続けて、「視聴者から来るTwitter」を「ほぼオンタイム」でOA画面にスーパーしていった。ディレクターはかなり嫌がっていたが。

僕は当時、「ダウンタウンDX」の宣伝担当。その沖縄の生放送現場にいた。

沖縄の生放送会場の廊下で見た当時、吉本興業社長の大崎洋さん。
「ここの弁当、食べてもええんかなぁー、俺も」。
不思議な風景だった。気持ちがホッコリした。

今回の「人事異動」で、僕がいちばん嬉しかった事は、二郎が僕の隣の席に来た事だ。

「今村さん、人生は楽しまなきゃー!」

大声でそう言い、僕の隣で大笑いする二郎。

今村さん、僕は入社した年の夏、奈良の若草山、「高校生クイズ近畿大会」の本番で、怒られたんですよー‼️西田、もっと全力で走れ〜って

そうだった。そうだった。

実は「細心の気遣い」を二郎はしている。だから、「ダウンタウン」の「浜田雅功さん」にも「松本人志さん」にも「島田紳助さん」にも「上岡龍太郎さん」にも可愛がられ、信頼されるのだ。

TMC(東京メディアシティ・砧スタジオ)で「ダウンタウンDX」の収録が終わって、「総合演出」の二郎とプロデューサーの勝田恒次、そして宣伝の僕と3人、車でワンメーターのお好み焼き屋で冷えたビールを飲みながら、いろんな話をした。そのほとんどが「アホな雑談」。

二郎も勝田も僕も話が簡単にいろんな方向にワープする。「話の目的地」など気にしないでどんどん話していく。それが途轍もなく楽しい。

そんな「ぐだぐだ感」が今のテレビにあるだろうか?

「黎明期のテレビ」と違って、「今のテレビは『キュキュ』と世の中の隙間に入っていくのを見るメディア」だ。

テレビの作り手が「前を向いて楽しんでいなければ、楽しい番組はできない」。

あのお好み焼き屋での会話の中にもたくさんインスパイアされて、番組の企画になった要素は散りばめられていたと思う。

「余裕」、つまり「車」に例えると、「ハンドルの遊び」を今のテレビは持っているか?真剣に「遊んでいなければ」テレビでは無い。

以前、「上岡龍太郎さん追悼の回」(Facebook 6月5日掲載分)に出て来る「上岡龍太郎さんに『EXテレビ』の本番中に『キレられて、無念にもスタジオから出て行かざるを終えなくなったADのN君』」は「西田二郎」のことである。

彼が「今村さん、何で僕の事、イニシャルで書くんですか?『ダウンタウンDX』の『前説』(Facebook 3月20日掲載分)の時もイニシャルじゃなかったですか?淋しいなぁー。僕が『前説巧かった』のはいろんなところで出てますから、どんどん書いて下さいよぉ〜」。

僕の隣の席で二郎はそう言う。

僕は「西田二郎の『前説』で、本番の2〜3分前には『ダウンタウンの笑いに飢えて、ホッカホッカになったスタジオ観覧者の皆さん』の事を書くと、「『ダウンタウンのお二人』が『西田二郎の前説の力』をどっかで借りて、あの毎週笑いが絶えない『ダウンタウンDX』の収録が行われている」様に取られるのではと要らぬ配慮をしていたのだ。

僕と西田二郎の付き合いは長い。35年くらい前、僕が「朝ドラ」からイヤイヤ「EXテレビosaka」に異動になり、プロデューサーのU君に虐められ、罵倒され続けていた時からの付き合いである。あの時の「西田二郎」は僕の「先の見えない暗闇を明るく照らしてくれる優しい『灯り』だった」

「EXテレビ」で、僕が「上岡龍太郎さんと複数のゲスト」が5つの棺桶に入り、「人間の死」に関してトークする「棺桶トーク」のディレクターをした時の事。

僕は美術デザイナーの「延澤良一」と打ち合わせしていて、「5つの棺桶を扇状」に並べていた。デスクに座って、その「青図」(スタジオセットが書かれた美術デザイナーが描く、青い色をした図面の事。今みたいに「Mac」で描くのでは無く、全て手書きの「青図」でセットは建てていた)をぼんやり見ていた。

そこに偶然、二郎が通りかかった。そして、デスクに置かれたその「青図」を見たのである。

「今村さん、この棺桶5つ、並行に並べた方が絶対良いですよ!並行に並べるでしょ、そして2台のクレーンカメラを常にゆっくりゆっくり動かしながら撮るんですよ!キュルンキュルン、画面が『オーバーラップ』してねぇ!ええでしょう!」。

二郎の喋りにはやたらと「擬音」が多い。

彼の頭の中では「映像」が先行するのだろう。それに「言葉」が「間に合っていない」。だから、「奇妙な擬音」を度々発声するのだ。

頭の中には「本番の映像」がくっきりと浮かんでいる。僕は確信していた。この素晴らしいアイデア、そのまま頂きまーす♪と。

結局、西田のアイデアに僕がプラスしたのは、5つの棺桶が遠くに並ぶ手前に「丸い黄色の小さな菜の花畑」を作り、その「菜の花畑」越しに「5つの棺桶」だけが暗闇の中に不気味にくっきりと浮かぶ様に「無人の定点カメラ」を一台置いた事。この時の事は二郎に感謝してもし切れない。

また、彼がディレクターをした時の事。「EXテレビ」の「賭博の限界」。

「元・暴力団組長で富士山を描き続けた日本画家、山本集さん」ほかをゲストに迎え、「丁半博打」をスタジオで実際にやる番組。こんな番組、今のテレビでは出来ないかも知れない。

僕の記憶に強く残っているのは、この番組の収録のラスト。

何故か、この時、僕は西田がディレクターをやっている姿をずっと見ていたのだから、「サブ(副調整室・ディレクターが座って指示を出す、スタジオの上にある部屋の事)」にいたのだろう。

「丁半博打」のラスト、西川のりおさんがいつもの「芸人魂」を発揮して、「賭場のセット」で大暴れ。セットを壊し始め、いろんな人が立ち上がり、画面上、たくさんの人が錯綜した。スタジオ大混乱である。

この時、「EXテレビ」でも最若手に近かった西田二郎はすかさず立ち上がって、サブ中に響き渡る大声で「OKですー!OKよ!」と収録をそこで止めてしまったのだ。

二郎はこの回、「上岡龍太郎さんのカメラに向かって喋るエンディングコメント」を一切撮らなかった。それで全てが「成立」していた。

「西田二郎」の事を書いていると、僕のアタマの中で、「西田二郎」の姿が鮮明に次々と浮かんでくる。それに「書くスピード」が間に合わない。それ程、僕にとって、「西田二郎」は魅力的なで大きな存在なのだろう。

最後に、何故「西田二郎」は「二郎」なのだろうか?

普通、初めて生まれた子供なら、「西田一郎」なのに。確か、彼は「一人っ子」だった筈だ。教えてくれ!もやもやするから!「西田二郎」!

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