僕たち夫婦の結婚式

「結婚式」は一生に一度のこと。僕は、敬愛する手塚治虫さんと筒井康隆さんが結婚式を挙げた「宝塚ホテル」で出来ればこんなに嬉しい事は無いなぁーと思っていた。

そして、妻にその事を話すと、快く了解してくれた。

1991年当時、同期入社の仲間の中に、プロのディレクターやカメラマンがいるので、仲間から、新郎新婦本人出演の「馴れ初め再現VTR」を撮らないかという提案があった。「再現ドラマを撮るのはかなりの時間と労力がかかって負担を強いる事」と「新郎新婦ともシャイという事」があり、丁重にお断りをした。

結婚式・披露宴は1991年5月5日。引き出物は、阪急百貨店を4時間かけて探した「印鑑入れ」。母が最後まで納得せず、やっと決まった逸品だった。

最近の結婚式は、「仲人」を立てない事も多いそうだが、僕と妻は、制作局長のOさんにお願いしていた。

披露宴が始まると、来賓の挨拶。そして、余興へ。妻は神戸のフロイデ合唱団に所属していたので、来て頂いた合唱団の方と妻で「第九」を合唱。僕もその場に加わったが、ドイツ語の歌詞を知らないので、溺れかけの金魚の状態。後で同期に「心霊写真」みたいやったと言われた。

無事に披露宴も終わり、披露宴にお呼びできなかった方にも参加して頂き、大阪梅田で二次会。仕切りは同期のU君である。

U君は、若い男女が一本のポッキーをキスする直前まで食べ続けていくゲームなど様々な趣向を凝らしてくれた。会場もほぼ満杯の状況で、あっちこっちで笑いが起こる和やかな雰囲気。

二次会を終えた僕たち新郎新婦は、明日の新婚旅行を控え、宝塚ホテルにとって帰す。

自室に戻ると、冷蔵庫に披露宴のメインディッシュだった「海老グラタン」が新婦の分だけ冷やしてあるではないか。

お酒以外、ほとんど食べ物を口にしていない僕たちは、ホテルの気遣いに感謝しつつ、「海老グラタン」を美味しく頂いたのであった。

新婚旅行の行き先は、ポルトガル・スペイン。宝塚ホテルに泊まった翌朝、伊丹空港に2個のスーツケースをゴロゴロ転がしながら向かう。

伊丹空港発アンカレッジ経由ロンドン・ヒースロー空港行きの英国航空に乗り込む。

アンカレッジでのトランジットの時間に、妻が空港のベンチで爆睡していた。重いカツラを付けたり、疲れもいろいろ溜まっている事だろう。

この彼女の神経の太さが、神経質な僕とフィットして、結婚生活が上手くいっているのかもしれない。

妻の持って来た「地球の歩き方・ポルトガル、スペイン編」がボロボロになるまで読み込まれているのを見て、改めて新婚旅行を楽しみにしてきた妻の誠実さを強く感じた。

僕は寝ている彼女の姿をカメラに収めた。

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