花紀京さん

「今ちゃん、カラダには十分気いつけるんやで」
花紀京さんが深夜のドラマ撮影終わり、タクシーに乗り込む時、おっしゃった言葉。今も心に刻んで忘れない。

花紀京さんと初めて御一緒した仕事は深夜のローカル番組「寛平の屋台が行く」。レギュラーが間寛平さん、島田珠代ちゃん、花紀京さんだった。

番組は、寛平さんと珠代ちゃんが屋台を引いて、お客さんを集める。そして、屋台で「関東煮き」などを食べながら、その土地その土地の人々とトークするという内容だ。

花紀京さんは別撮りで、毎回ゲストを呼んでコントをやってもらった。中でも、新喜劇、花菱アチャコの弟子・岡八朗さんと横山エンタツの長男・花紀京さんのコントは絶品だった。僕はこんな贅沢なものを独占して見ていいのかと思った。

ある年の年末、年始一発目の内容をどうしようかと番組の会議で話していたら、構成作家から、
「生放送、やってみませんか?」というアイデアが出た。

深夜1:10スタートの「生放送」、どうかなぁーとも思ったが、テレビマン、「生放送」の三文字には弱い。

「生放送」はエキサイティングでドキドキして、終わった時の開放感が堪らないのである。

中継場所は神戸線・垂水駅の改札前。ちょうど「生放送中」に終電が入って来るからだ。

年が明けて、本番当日。レギュラーの大ベテラン花紀京さんには改札前のコインロッカーに入ってもらう事にした。
今考えると、花紀さんがよう入ってくれたと思う。

本番が始まると、
「あー、よう寝たわ」
と言いながら、ロッカーから出て来てもらい、立ち去るだけの役。

垂水駅周辺は「予想外に庶民的な街」だった。照明が煌々と照らす中継場所に、カメリハをしている時から、たくさんの野次馬が集まって来たのだ。

深夜1時過ぎ、制作の全スタッフが手を繋いで、中継場所に野次馬が入らない様にする緊迫の状況になっていた。

「生放送」の30分の間、僕の記憶は定かでは無い。何度も人だかりが崩れて、中継出来ない状態に陥りかけた。

何とか、放送は無事終わったが、寛平さんと珠代ちゃんがどんなトークをしていたが、憶えているスタッフはほとんどいなかった。

その後、花紀京さんとは「朝の連続ドラマ」で何度か御一緒した。「大店の番頭役」が多かった。

僕が東京のドラマ班に所属している時、編成部から企画募集のお知らせが来た。

昔からやりたかった「吉本新喜劇」のキャストを使って、「ギャグ」を封印したドラマ。主演は石田靖さん。ペラ(200字詰め原稿用紙)4〜5枚の簡単な企画書を出したら、その企画が通った。

そのドラマ撮影中のある朝、僕は局の前で間寛平さんを待っていた。なかなか来ない。

一台のスポーツカーが僕の前で止まった。寛平さんが運転していた。
「花紀さん、怒ってはりませんか?大丈夫ですか?」

寛平さんは間違って、NGKなんばグランド花月に入っていたのだ。吉本新喜劇の大先輩・花紀京さん。寛平さんは花紀さんを尊敬しつつ、畏れてもいた。

このドラマ、僕は花紀京さんに喫茶店のマスター役で出てもらっていた。気さくなマスター役が花紀さんにはとても似合っていた。

90分の単発ドラマ。ドラマとはいえ、ローカル番組ゆえ、予算はとことん厳しい。撮影はロケとセット合わせて5日間。

一日一日の撮る分量が多いので、深夜に及ぶ。撮影期間の途中で過労の為、食べたものを全て吐いた僕は救急車で病院に運び込まれていた。点滴をしてもらい、無理矢理現場に復帰。

スタジオ撮影が3時間押して、深夜1時半を時計が指していた。

オール巨人さんをタクシーまでお見送りに行って、
「今日は長時間押しましてすんません。こんな深夜まで有難うございました」と言うと、
「こちらこそ、ドラマの作り方勉強させてもらいました」
と笑いながら巨人さん。
ちょっと気持ちがホッコリする。

そして、深夜の撮影終わり。タクシーに乗り込む花紀京さんに
「お疲れ様でした。本当に今日は有難うございました」
と言って、深々と頭を下げると、
「今ちゃん、カラダには十分気いつけるんやで」
と花紀さんが親しみを込めて笑顔を見せながらおっしゃった。気遣いが心に沁みた。

この時が花紀京さんにお会いする最後になった。

「吉本新喜劇の天皇」とまで言われた花紀京さん。その人柄はとっても温かかった。

本当に素晴らしい人と出会えたと僕は思っている。

ちなみにNGKなんばグランド花月に出る芸人さんがよく出前を取る「千とせ」の「肉吸い(肉うどんからうどんを抜いたメニュー)」を店の主人に頼んで作ってもらったのも花紀さんである。

あったかい「肉吸い」にも花紀京さんの人柄が出ているかも・・・

興味のある方はぜひ食べてみて下さいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?