私は翻訳者?

いや、確かに翻訳でご飯頂いてます(笑)。それが、前ほど情熱がなくなりましてねぇ。

始まりは今はもう消えてしまった自動車衝突安全装置のメーカーから。読み始めたのはえぐい国内外の事故レポートや、automotive news にSAEペーパーなど。当然海外とのやり取りがあるので英訳や通訳が舞い込みます。え?TOEICなんざ受けたことありませんよ(笑)。英検だってたった2級だったし純ジャパだったし。若かったなぁ。今じゃぁ怖くてしょうがないけど、当時もやっぱり怖くって勉強しまくりました。最初のTOEICは散々でしたねぇ。だって、たったの680点ですよ?翻訳業界で悪名高い某情報商材翻訳学校の人たちは私を担ぎたいかもね。でも、こう見えて下地はありましたよ。学生時代の成績で英語と古文・漢文はいつもAランクでした。まぁ、学校の成績でしかありませんけど。もちろん、自分のできなさ加減はわかっているのでインターに通ったりしました。某外資系に移った時にはお褒めの言葉も頂いていたのです。試験は試験でしかないとしみじみ思います。なので、試験勉強をして800点をコンスタントに超えだしたのが30代。40代になってようやく900点台が普通になりました。仕事の教科書はFMVSS(米国連邦自動車安全基準)とJapan Timesの英文手紙の書き方。読み漁ったのがSTEADMANの医学書。その後海外ライセンス契約やらNOAAの仕事に携わるうちに語彙が増えました。Japan Times を立ち読みできるようになったのもその頃ですね。NOAAとのプロジェクトでは、私が書き起こしたNOAA提出用マニュアルをエンジニアが日本語に訳す珍事が起きました。彼らの日本語は独特ですが(笑)、論理がはっきりすることからその手法をとったのです。今じゃすっかり偉いさんの某氏とは良き相棒でした。

そんな晩稲の私が翻訳への情熱を早々と失ったのが人格障害者の夫とようやく別れられたとき。全エネルギーを使い果たしてしまったんだと思う。高く評価してくださるお客様もいらっしゃるので、それほどヘボクはなさそうです。でもね、私決心したんです。これじゃぁあかんわ、って。

それが絵の勉強ともつながっています。私の絵を刺青に使いたい人がいたり、和尚さんに楽しみにお待ちいただいたり。漫画を描いていた所為か、絵の後ろにいつもストーリーがある。それを発信したいと考えています。その絵を見て世界のどこかの人が幸せになってくれたら冥利に尽きます。

そこで、今年は勉強年間にすることにしました。ネイティブの先生に師事する予定です。

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