本で「通じ合う」ということ
僕が本を読んでいて一番気持ちいい瞬間は
「自分と同じだ!」とか「それそれ!」と自分と通じるものがあるときです。
若林正恭さんが書いた「ナナメの夕暮れ」この本にはその瞬間が何回あったことか。
僕は自分と通じるものを、自分が言語化できなかった言葉を、自分しか感じていないと孤独に包まれていた感情を感じて言語化し書いてくれている時に心がホッと暖かくなるんです。もしかしたらポッくらいかも。
それは映像でも可能だ!と言われるかもしれません。でも映像って一瞬を感じる媒体の気がするんです。一瞬の煌めきと雰囲気とを。それは何回も見返しちゃダメだろうし。つまり映像には過去がないんです。
でも過去がないというのは実は小説も一緒な気がしていて。
僕は本全体が”いま”だと僕は思うんです。
じゃあ結局その違いは何なの?と言われたらそこに確かに文字として言葉が刻まれていることだと思うんです。これがやっぱり小説の凄さなんじゃないかなと思うんです。
つまり映像は過去がなくて過ぎ去ったものを切り捨てていくけど、小説は全体が”いま”として享受できるということ。
それがあるからこそ、そこにゆっくりと読み込む時間が生まれたり、いろんな解釈をする時間が生まれてくると思うんです。勿論それは確実な”いま”として。
やっぱり形として、刻まれた文字に触れることができるって映像じゃできないことなんです。
小説だからこそ通じる部分があるんです。
小説という媒体の尊さを語ってしまい本筋から少しずれてしまいましたがその小説で自分とズズズと深く通じてくるもの、なんて最高だと思いませんか。
若林さんは自分が異星からきた宇宙人なんじゃないかなと思っていたりする根幹が自身の中にあって毎日に生きづらさを感じています。それを言語化し、文字に素直に刻んでくれています。
そこにはこの本を読んでみようと少しでも思ったあなたと通じる部分があります。確実に。
それを読んだときにあなたもホッと、ポッとなるはずです。
やっぱり人と通じるってことは人間にとって凄く重要で幸せなことなんだと思うんです。
昨日、サウナ室でみたテレビでスピードスケートを引退なさった小平奈緒選手もこう仰っていました。
「金メダルよりも大切なものを手に入れた それは人と通じ合うこと」と。
本を読むことで僕はこれからも著者と、読者と繋がっていきたい。
そう思う一冊でした。
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