フォーククルセイダーズ 私論
ある時ラジオを聞いていると、北山修さんが、フォーククルセイダーズの何かの曲ができるまでの、エピソードを話していた。
天才加藤和彦さんは、フォーククルセイダーズの作曲担当だが、その曲の歌詞以外の音ができあがり、作詞担当の北山さんが、それに歌詞をつけている時の、エピソードのおはなしだった。
北上さんは、北上さんが言葉を閃き、加藤さんに提示すると、その言葉の、音と意味の最終判断は、加藤さんがするという風景を、語っていた。
加藤さんが認め無いと、加藤さんは、北山さんに、言葉の書き直しを頼む、ということだった。
歌という音楽には、言葉が、存在する。
言葉は、音で意味が、在る。
音と意味は、関係が、在る。
それは、関係して、存在するのだ。
こういう事から、僕は、フォーククルセイダーズとは、加藤和彦さん、だったように思う。
ビートルズのレコードの音が、最終的には、ノーマンスミスさんの音である、という意味と、同じことだと、
思う。
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