_95世代のリアル

#95世代のリアル【遊戯王せどり, Ameba受験ブログなど】

この記事を書くきっかけはDai(@never_be_a_pm)さんのこのツイート

各世代が自分の幼少期からを振り返って、移りゆくトレンドと、その中でネットに融合していく様をみんなで書き連ねようとするムーブメント。
多大なるエモみを感じたので、僕も乗っかろうと思う。

そしてこのnoteを書いている僕は95世代だ。

- 目次 -
~小学生
#ミニモニ #慎吾ママ
#9 .11

小学生
#はじめての携帯
#はじめてのメール
#遊戯王が大好き
#赤いたまごっち
#Flashゲーム (おもしろフラッシュ倉庫)
#YouTubeを知る
#Wii (大乱闘スマブラX)

中学生
#遊戯王に本格的にハマる 。せどり編
#遊戯王に本格的にハマる 。掲示板管理者編
#遊戯王に本格的にハマる 。大会優勝編
#遊戯王に本格的にハマる 。YouTube編
#イメプ掲示板
#AKB48

●高校生
#mixi
#好きな人とのメール 。なんども新着確認。続いていく"Re:"
#スマホ台頭
#Ameba受験ブログ
#Twitter台頭

~ 小学生(~2001)

#ミニモニ #慎吾ママ
印象的なトレンドと言えばこのくらいしか思い出せないような。
幼馴染の女の子の影響もあってか、ミニモニの記憶がかなり鮮明。

#9 .11
他にも強烈なものとして、9.11の記憶がある。
母親と買い物に出かけて、僕が一人車で待っている間、飛行機がビルに突っ込み崩壊していくニュース映像が延々と流されていて、恐怖を感じた覚えがある。


小学生(2002~07)

#はじめての携帯
母子家庭だった僕は、母方の祖父母宅の近くにハイツを借りて住んでいたのだが、小学生2年生のとき祖父母宅からは少し遠いマンションに引っ越しをした。
そしてそのタイミングで鍵っ子になった。4年生までは学童に通っていたが、5年生の学童を卒業する際に、鍵っ子の必需品ガラケーが与えられた。


#はじめてのメール

4年生の頃だっただろうか。仲の良かった友達が遠方へ引っ越すということで、メールアドレスをくれた。母親に助けてもらいながらYahooメールを覚え、週に1回ほどの頻度でメールを送りあっていた。


#遊戯王が大好き

遊戯王GXという、いわゆるブラマジやブルーアイズといった初代の武藤遊戯ではなく、2代目主人公の遊城十代が活躍するアニメが大好きだった。
初代の頃からアニメも見ていたしカードゲームもやっていたが、2代目の頃から本気でのめり込んでいった。

先述して手に入れたガラケーを使い、「遊戯王 攻略」とか「遊戯王 サーチ※」とか「遊戯王 掲示板」をたくさん検索していた気がする。
※サーチ:購入前のパックから、レアカードが入っている商品を見抜く技術

とにかく強いカードを集め、強いデッキを作ろうとした。友達の間での発言権が強くなれば、有利な立場でカード交換ができる。
月500円のお小遣いだった僕にとって、どうしても150円のパックは高かった。母子家庭でもあったため、母親にねだることがなかなかできなかった。
ただ、周囲にはお金持ちの友達が何人かいて、彼らは両親からたくさんのカードを買ってもらっていた。彼らの持つカードプールから、僕にとって必要なカードを見極め有利に交換してもらうべく、比較的早く手に入れたガラケーというものを使い、情報戦をやっていた。

また小学校高学年になると、Yahoo!オークションをはじめる友達が出てきた。たしか年齢制限があって、自分でアカウントを作りオークションに手を出すということを僕は諦めた気がする。なのでお金を彼に預けて購入を代行してもらったり、逆にカードを預けて出品を代行してもらったりしていた。
ネットでものが買える&売れるのはじめての体験はYahoo!オークション。


#赤いたまごっち
小学校4年生の頃だったはず。割とすぐ冷めた気がするが、なぜか本気で欲しかった。
母親の友人に予約してもらい、トイザらスに連れていってもらって、当日販売を狙って失敗し泣いている子供を横目に、予約していた赤たまを手に入れめちゃくちゃ嬉しかった記憶がある。

たまごっちが今になってまたLINEで復活している様はなかなかにエモい。


#Flashゲーム (おもしろフラッシュ倉庫)

Flashゲームというものにもハマった。
遊んでいた代表作品といえば

・マッチョでポン!
・イライラ棒
・赤い部屋からの脱出
・サリング
・ぱんぞうシリーズ
・俺俺大作戦

「おもしろフラッシュ倉庫」というフラッシュコンテンツの黄金サイトもあった。
下校したら誰かの家に集まり、みんなでこのサイトを見て、ゲームやら動画やらを漁りまくり、一緒に楽しむ。ということが当時の僕らの遊び。


#YouTubeを知る

Flashコンテンツが流行っていた延長で、「千葉滋賀佐賀」や「モナー系(恋のマイアヒなど)」「タラちゃん神になる」「棒人間系」などが流行った。
おもしろフラッシュ倉庫からも見ることはできるのだが、たしか検索が弱く、YouTubeで探す方が都合が良かった。

カードキングダムという、カードゲームをする人なら誰でも知っているYouTubeチャンネルが開設されたのも小学校の時。
ハマったのは中学校に上がってからなので、また後ほど詳しく述べたい。


#Wii (大乱闘スマブラX)

スマブラXが発売されたのが小学校6年生の1月31日。
僕の誕生日が2月1日なので、誕生日プレゼントはもちろんスマブラXだった。僕らの世代は64時代のスマブラにはあまり親しみがない。ゲームキューブ版のDX、Wii版のXをやり込んだ。

スマブラDXとXは、発売から10年以上たっても遊ぶことのあるほど、枯れない作品。
しかも「同世代の男子の間」だけでなく、ピーチやピカチュウなどがいるおかげで女子も一緒に遊べるゲームだし、学年の違う人たちとの交流の機会もくれた本当に素晴らしい作品。


中学生(2008~10)

#遊戯王に本格的にハマる 。せどり編
中学生になってもお小遣いは相変わらず500円だったが、お金の作り方を学び、たくさんカードを買えるようになった。

遊戯王をはじめ、ゲームとして遊ばれるカードには、それぞれ価値があり、しかもそれが変動する。
単純な話、強くて珍しいカードであるほど高いのだ。毎シーズン発売されるパックに入っている強いレアカードももちろん高い値がつくのだが、特段高くはならない。なぜなら大量に市場に卸されるから。しかもそれは数年単位でパック販売され続ける。

そこで目をつけるべきは、「ゲーム同梱版」と「オリジナルブック同梱版」である。
遊戯王はゲームも出している。また、半年ごとにカードのカタログ本も発売される。そこには購入者特典のカードが同梱されているのだが、やはりゲームや本はパックと比べて購入するプレイヤーが少ないため、必然的に同梱版カードの希少性は高くなる。そしてそのカードが強いか弱いか(本質的にはニーズがあるか否か)を見極めることができると、「強くて珍しいカード」を簡単に見つけることができる。
あとはこれを大量に購入し、市場がその価値に気付きカードの値が上がったところで、オークションやカードショップで売却するのだ。

また、遊戯王には禁止カードや制限カードなどといった、ゲームバランスを担保するためのルール改定が半年に1度行われる。大きく市場の変化が起こるタイミングであり、その前後でのカード価値の変化を見極められると大変強い。

僕の一番の成功体験は、定価3,980円のソフトに同梱されていたカードが1枚2万円弱で売れたこと。4枚持っていたので一気に大金が手に入った。


#遊戯王に本格的にハマる 。掲示板管理者編
今はもう見つからなくなってしまっているが、「遊戯王 デッキ考察 掲示板」と検索して一番上にヒットする掲示板にのめり込んでいた時期がある。

そこではデッキや考察内容ごとに1,000を超えるスレッドが立てられ、それぞれの中で匿名による議論が行われていた。
中には荒らしのような人もいたが、真面目に考察をする人が多く、マナーのなった掲示板だったように思う。

特に僕は「スクラップデッキ考察」というスレッドが好みで、かなりアクティブに議論に参加していた。チャットが1,000溜まるとそのスレッドはいっぱいになり、「スクラップデッキ考察 part2」のようにまた新たなスレッドが立てられて、それを立てた人は「主さん」と呼ばれるようになる。僕もスレッドでの功績が認められ、顔も知らない参加者さんたちからの承認のもと、「主さん」になった。

一つのコミュニティを攻略した気分になり、さらに僕はいろんなスレッドの会話を盛り上げ、活性化に貢献していくようになった。結果、10以上のスレッドの「主さん」になった。

そうすると、今後は掲示板の管理者さんから運営を手伝ってくれないかという連絡が届いた。運営といっても僕が普段やっていた各スレッドの周回と、そこで不適切な行為を行なっている人を取り締まること。
管理者アカウントの権限をもらい、不適切な人を見つけるとそれを注意、改善がない場合はBANするという仕事をしていた。


#遊戯王に本格的にハマる 。大会優勝編
中学校2年生のとき、街の大会に参加した。参加人数30人弱の小さな大会だったが、参加者の大半は大人の方。財力が違う。
たまたま大会開催の知らせを聞き、友達とノリで参加したものだったが、なんと優勝してしまった。

先ほど上述した、1枚2万円弱で売れたカードを使ったデッキが当時最強と言われていて、僕は参加者の中で唯一、そのデッキを完璧に組めていた。

めちゃくちゃ認められた気がして嬉しかったのを覚えている。


#遊戯王に本格的にハマる 。YouTube編
カードキングダムという、カードゲームをプレイする人なら知らない人はいないであろうYouTubeチャンネルがある。
カードキングダムというカード専門の店舗を経営している池っち店長という方がはじめたチャンネルである。

組織でYouTubeチャンネルを運営し、はじめて成功したのはパズドラで有名なマックス村井率いるAppBankだと世間はいうが、僕的にはこのカードキングダムだと考えている。

「池っち店長」だけでなく、「サンダー」や「コスモM」といった個性豊かな登場人物たちが、テンション高くカードやデッキを紹介したり、デュエル動画を投稿していた。

当然遊戯王にはまっていた僕も、友達たちも、(略して)カーキンの動画にハマった。修学旅行で東京に行った際には、池っち店長に会うためのアポを取り、いつも撮影が行われている憧れの練馬春日店にまで足を運んだほどだった。


#イメプ掲示板
黒歴史的なものだが、おもしろいので書き留める。

恋愛に興味津々な中学生だった僕は、「恋愛 心理学」の検索をやりまくっていた。当時検索結果がどれほどあったのか定かではないが、ブラウザの検索結果画面で「次のページへ」がなくなる最後のところまで、「恋愛 心理学」を読み漁っていた。

そんな中で知ったイメプという言葉。「イメージプレイ」の略である。

掲示板の中で、匿名の男女(なりすましも星の数いるだろうが)が、妄想のシチュエーションの中で男女のあれこれをチャットでやりとりするというもの。
今でいうチャットレディ的なものである。金銭のやり取りなく、それを欲求不満な男女たちがチャットでプレイを行なっていた。

「イメプ掲示板」というものを知った僕は、怖いもの見たさで入ってみて、スレッドに書き込んでみた。すると反応が返ってきた。
客観視するとかなり気持ち悪いことをしている自覚はありつつ、その背徳感も含め楽しんでいた。男性としての参加ではなく、女性になりすまして、自称社会人の男性を弄ぶのが一番楽しかった。

#AKB48
AKBが人気になってきたのがこの頃。
本来学校に持ってきてはいけなかったウォークマンや携帯を持ち込み、休み時間は先生の見回り回避の見張りをつけつつ、「大声ダイヤモンド」や「10年桜」「涙サプライズ」を聞いていた。
名アルバム「神曲たち」の発売は中3だったと記憶している。

裕福な友達たちは、多くのファンと同じようにCDを複数枚買い、握手会に足を運んでいた。


高校生(2011~13)

#mixi
mixiが流行った。
入学すぐ、ガラケーのブラウザのお気に入りか何かにデフォルトで入っていたmixiに興味をもち、登録してみたのが始まりだった気がする。

通っていた高校を検索すると、同高で知らない人が3人ほど出てきた。
友達になり、ネット上で交流をするようになった。

それが楽しく口コミしていたからか(否かは不明だが)、夏頃にはかなり流行っていた。
ほとんど中学校と高校の友達ばかり。
mixiで知り合って気になって、クラス替えで同じクラスになって好きになり、告白した人もいる(フラれたけれどもw)。

投稿にコメントしたり、日記を投稿したり、相互で紹介文を書いたり、バトンを回したり。友達と濃く濃く交流する純度の高い世界だった。

そのため、大人の方々がいう「昔のmixiは出会い系」というのはよくわかっていない。


#好きな人とのメール 。なんども新着確認。続いていく"Re:"
僕らの世代はこれを懐かしむ人が多いはず。
高校に上がるとケータイ所持率は100%に近くなり、好きな人とメールができるようになった。

返事はまだかと何度も新着メールの問い合わせをしたり、返信の度に連なっていく"Re:"という文字がなんとも愛おしかった。

#スマホ台頭
高校2年生くらいからであろうか。iPhone4sを使う人が増えてきた。
僕は高校卒業までずっとガラケーだったので、パズドラが流行っている時は少し肩身が狭かった。
ガラケーだとLINEもできなかったため、友達たちのグループトークに参加できず、少し寂しかった覚えがある。

といっても同じくガラケーの友達もいたし、ましてやガラケーすらまだ持ち合わせていない友達もいた。
まだ完全スマホ以降にはなっていなかった。


#Ameba受験ブログ
僕の高校時代のネットといえばAmebaで書いていた受験ブログが一番の思い出。
高1の頃からひそひそと更新はしていたが、ある時「受験ブログ」というカテゴリーがあることを知った。そこでは受験生や浪人生たちが日々の学習記録を更新したり模試の成績報告をしていた。
特に、受験ブログに参加する人たちは比較的偏差値の高い大学(7帝大、早慶、同志社、医学部獣医学部)の志望者が多く、北大志望だった僕はここに感化されようと受験ブログを始めることに。

本来なら受験勉強に集中すべき夏休みは毎日ブログを更新していたし、模試の結果が返却される時期を境にだんだんブログ友達の更新が減っていく中、僕は最後の模試や受験、合否報告までを書ききった。

そんなことをしていると、受験ブログの中でランキング上位に食い込むことも多くなり、デイリーのPVが3万になったこともあった。
(※AmebaブログのPVは水増しがひどく実際は1/3という噂があるが)

ブログでは結果は出たものの、北大受験は失敗し、琉球大学という地理的にも学力的にも真反対のところにいくことになったのだが、それはまた別の話。


#Twitter台頭
ちょうど受験生の夏だったと思う。
mixiからTwitterに移行する友人が増えてきた。しばらくは両者がブレンドされた時期もあったが、受験終了時には完全にmixiは過疎化していた。

僕にとって、mixiのトレンドは2年半だったことを考えると、5年以上使い続けているTwitterすごい。


* * *

気づけば6,000字にもなってしまいました。
95世代のリアルの1サンプル、読んでいただきありがとうございました。

(以下、宣伝)


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