実妹食らわば鬱まで〜SSという行為あるいは生き方


当方「SS自給自足マン」である。SSは文字を使った二次創作である。

なにが良いって手軽で気楽だ。持論だがSSは作品ではない。たとえるなら一次創作に存在しないシーンをリプレイする道楽である。



ただいま絶賛『After…』のSSを書くのにハマっている。主人公・高鷲祐一と妹の渚のカプが愛おしくてたまらないので「存在しないシーン」を幻視して文字に起こして反芻しているわけだ。

それでいまちょっと困っている。

というのもこの『After…』というゲームは鬱い。このゲームには、終始徹底して会話のリアルさ・キャラクター同士の絶妙な距離が特徴的な空気感として通底している。渚はサブヒロインだが渚ルートに限って言えばその空気感に実妹という約束された悲恋関係が拍車をかけている。

「幼いころからお兄ちゃんのことが好きだった」。こんな甘々な台詞、スウィーティーなシーンで言わせてやればいいものをいちいち鬱屈としたきっかけで絞り出すように言わせたりする。はたまた渚は「ずっと一緒にいられる」結果を求めて兄と幼馴染がくっつけばいいのにと常々願ってたりする(別に積極的にくっつけに行ったりはしない)。そんな渚の一面がもろ見えする『After…』本編・文化祭の一幕はキュンと来るのを通り越してちょっと引いちゃうこと請け合いである。

スクリーンショット (208)

渚が写真部であることは知っていたがその活動風景は見たことがなかった祐一。初めて目にする妹が撮った写真がまさか自分と幼馴染のツーショットでしかもそれを衆目に晒しているとはお兄ちゃんもたまげたことだろう。



スクリーンショット (212)

(意味深)




まあ私はそんな渚が可愛いしそんな実の兄妹の切なさ・尊さに刺されたのだが、それが“良い”から困っているのだ。

だってこれ書くのか? こんな苦しいもの自給自足して楽しいか? どうせ自給自足するならハピハピ高鷲書きたい。でもそんなの高鷲兄妹じゃないやい。いやほんとはそれが見たいんだけど兄妹という特有の苦しみあっての二人だ。おお困った。ハピハピな高鷲兄妹は作中で言うと亡き友の体で実現しているではないか。ばかやろう。こうした宗教上の理由で縛りプレイさながらにエンディング後をネタにできないのが辛いあまりにも。

これを乗り越える苦行も含めてSS。コンテンツを満喫できるいい趣味。苦行って言っちゃったけど。楽しいんだこれが困ったことに。

とはいうもののnoteに何本か投げて楽しくこれをやれてたつもりがまだ投げてないぶんで一気に「兄妹愛の重み」に触れるだけのSSが爆誕しておえったのでいま動揺した気持ちをこうして筆に走らせてみた。くり返しになるが私にとってSSは単なるシーンリプレイ。長ったらしいのは好みじゃない。だけどこうやって核心(鬱)に触れたり離したりをくり返すのがSSという行為であろう。私にとってSSは創るものではなくするもので生き方の一種だ。ふう。手強いぞ。高鷲兄妹。

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