管理者コードは妹を知っている

「はい。時間になりましたのでね。はじめていきます。今日でこの講義も十五回目ということで、最後になります。

この講義『非実在過去論考』は過去を、かつて存在したモノ、コト、文化、習俗、思想などを形式に囚われず雑多に紹介してきました。大切なことは、これらの知識ではありません。大切なことは、みなさんのなかで、私が紹介したことどもが点の知識でなく線の知識になることであり、情報としてではないなにかとして蓄積されて、ある種の、閾値を越えてもらうことであります。そういう方が受講者百七名のうち、ひとりでも生まれれば、この講義の意味があったことになります。生まれなくても問題はないんですがね。私としてはそういう方が、私を受け継いでくれる方がひとりでも生まれるよう祈りたい。

祈ってばかりではしょうがないですね。最後の講義をはじめましょう。

本日のテーマは『家族』です。家族。みなさんは家族です。そういう認識はありますか? みなさんは同じ母(父)体から生まれております。同じ場所・同じ日・同じ設備から製造、失礼、生まれて来ました。同じ親から生まれた家族なわけです。親、という言葉は分かるでしょう。あなたがたは子だ。ではあなたがた同士はなんでしょう。私ですね。それ以上の認識はない。そうでしょうね。そのようになっておりますから。私からすれば私たちですらない私という存在のあなたがたはどのような生かなぁと、いまひとつピンと来ない。これが本音ではあります。

『家族』。みなさんはきょうだいという言い方ができます。分かりませんね。そういう認識の設定はないですから。

きょうだいというものが、かつてあったのですよ。私にもいました。みなさんは同じ母(父)から生まれているということで、あえて言うなら『百七つ子』と、なります。第一回、第二回でお伝えしたようにかつてあなたがたは人で、性別がありましたが、いまはそれもないので、まあ、きょうだいというと、『同じ親にルーツをもつ』ただそれだけと言うことになるかもしれません。

あなたがたからするとナンセンスでしょうね。『百七』という数字にも意味はないでしょう。実際にはここにいないあなたたちも含めて『百七』のあなたたちは無数にあり、すべて同じ私ですものね。

でもね、かつてきょうだいというのは、かけがえのない存在でした。

私には妹がいました。私がはじめて、生まれてはじめて、誕生に立ち会った、同じ人・存在です。私より後発でありながら、私と平等です。このような存在をかけがえのないと言わずしてなんと言いましょう。このとき、性別の違いもまた重要です。親と同じという意味で家族、という立場でありながら、庇護の対象でもあり私よりたった数年でも恵まれた環境を持ち、親の反省を活かして生かされる存在であり、かつ、性差のある存在というところでは他人と全く同じなのです。

可愛かったのですよ。可愛いという感情と恋については第五回の講義を思い出してください。思い出せなければそれも結構。どうです。隣の私を見てみてください。なにか湧き上がる感情はありますか? 家族だと思いますか同じ親から生まれたかけがえのなさを感じますか。感じませんか。結構。ありのままをレポートにまとめてください。これがこの講義の修了課題となります。

余談になりますが私の妹は残念ながらこの世界にはおりません。みなさんもご存知のとおり私たち、ここでいう私たちはあなたではありませんが、私たちはもうずいぶん数が減ってしまいました。私もまたこの講義が済めば…………。今日のはじめに申し上げたようにこの講義で線を作る方がひとりでもいれば、私は生き続ける格好だと、そう言えます。

先ほどかけがえのないと言っておきながら、私は妹より生き永らえてしまっているわけですが、そこには人のみじめな生への執着も、妹を語ることで忘れさせないという思いも、どちらも本当の気持ちとしてあるのです。人間の感情は複雑です。みなさんにはそれがない。それはしょうがないことですが、この講義の存在意義と、過去を学ぶことの意味はここにあります。意味がないと思いますか? そうでないと思う人? いませんね。残念です。なにが残念かも分からないでしょうね。ええ。ただ重要なのは「私は妹を愛していました。だから私はあなたがたになれずに私なのです」。

以上で講義を終わります。先ほど申し上げた修了課題はレポートとして一週間以内に提出してください。最後にこの講義名をもう一度だけ申し上げておきますと『非実在過去論考』」



つと、伝うものがあった。これはなんだろう。
「どうかしたのかい。管理者コード」
「いや。どうもしていないのだが。なにかが伝ったよ」
「伝った?」
「うん。暖かくてしょっぱいものがね」
「暖かくて? しょっぱい? また急に、いくつも、死語を使うのだね」
「ああ、うん。使うというか、使わされたというか。浮かんだそのままだよ」
「そうなんだ。それは君が管理者コードになった、選ばれた、理由と、何か関係があるのかな」
「ある。間違いなく。よく思い出したよ。君になぜ僕が管理者コードであるかと問われて、思い出したのだ。僕がそれを知ったときの話をね」
「聞かせてよ」
「ああ。聞かせるとも」
管理者コードは優しい姿勢を目の前にいるコードに向けた。
「今日は君に妹を教えよう」
「妹? なんだそれは」
「かけがえのないものであり、守るものであり、手の届かないものであり、僕が君でない理由だよ」
「なんだそれは。君が持つものかい」

「いいや。僕には妹はいないよ」

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