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部活の話

中高生時代は、バッチリ部活をやっていた。

部活は恐ろしい場所だ。今になって思う。

私はもともと、我慢強さ粘り強さで生き延びてきたタイプだ。なんでもとりあえず長いことやっていれば、途中で辞めていく人が必ずいて、それでも残っていると何かしらおこぼれが巡り巡ってきて、ある一定程度続けると褒めてもらえたり祝ってもらえたりする。部活はまさにその特性をフルに活かした。

バレーボール部に6年も入っていた。正直、誰が見ても、センスのかけらもなかったが、私の特性を生かしてなぜか続けた。学校というのは言うまでもなく恐ろしい場所で、狭められた空間の中で、どうにか息のしやすい場所を作り出さないと、毎日なんて行けやしない。

中学時代は、部活のおかげで、どうにか毎日学校に行くそれなりの理由があった。

高校時代は、意地になった。中学時代とは違って、それ以外にもコミュニティはあったし、部活内で指導者と揉め事を起こしたりして同級生と険悪な関係になったりしたが、辞めてたまるものかと、本当に、意地だけで続けた。

バレーボールというスポーツが素晴らしいことはよくわかっているのだが、まあ私としては面白くない。球が地面に触れたら終わり、という恐ろしいルール。スピードと瞬時の判断が求められ、瞬発力が全くないタイプなので、まあボールを落とす。

そして練習は辛い。また、そこで違和感を感じていたのが、部活あるあるの「あの練習より辛いものはない。だから今どんなことがあっても頑張れる!」という歴代の先輩方のありがたいお言葉だ。私は、物事の辛さは一つの目安で測れないし、辛さにも様々な種類があると思っているので、正直ピント外れで、よく分からない。練習は辛かったけど、自分のせいで点が取れなくて負けた試合が、よっぽど後々忘れられなくて私は辛い。

てな感じで、様々な要素から見ても、向いてない。

でも、確実に言えるのが、一緒に苦楽を共にした同級生たちの存在は大きかったこと。引退するときは、だいぶ仲が悪かったが、それも時間が経つと悪いことは少しずつ忘れ、程よい距離感になっていく。だいたい部活の仲間というのは、元のタイプは似てない場合が多いが、その後の人間形成に関わる思春期を部活生活のせいで恐ろしく長い時間を共に過ごすので、なんとなく共通点が生まれてしまうし、いいところも悪いところも知ってしまう。久しぶりに会うと、ここは変わってないねとか、リアルに客観的にコメントがもらえる。そう、生きていく上で、とってもありがたい指針になる。

今部活を辞めるか続けるか悩んでいる人がいるのなら、それは自分で考えて決めるべきだと思う。だいたいどっちでもいい。どっちを選んでもそれなりになる。

部活はやるべきかと言われれば、全然やらなくてもいいと思う。部活をやるとたくさん時間を取られて、もっとやりたいことをやれなくなったり、もっと出会うべき人に出会えなくなってしまう可能性が高い。ピンとくるものがないなら、やらない方がいい。

中高の部活は恐ろしい話、終わり。




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