闇=悪?【バイ・スパイラル感想】【シャニマス】
うちの子に悲しい顔させるな
光と闇、という概念はよく対比として用いられる。
聖書からして「神が『光あれ』というと、(覆っていた闇は消え)光がそこにあった」と書いてあるのだから、古い時代からよく使われていたのではないか。
さて、闇=黒と定義するならば、一番最初に連想されるアイドルとして斑鳩ルカの存在があがる。
コンサートライトの色が黒(に近似)しているように、イメージカラーは黒であり、このコミュの冒頭も、「暗い」というルカの独白から始まる。
彼女の過去についての考察は個人の解釈などが強く入る部分なため、他記事様へと譲ることとするが、かなり壮絶なものがあるのは確かだろう。
それ故に、何も期待しない・どうせ終わることは無意味などの考えを持っている上、それらを隠すことなくぶつけることも多い。
それ故に、彼女は孤独であることが多く、自らも独りであることを求める。
基本的にユニット単位での活動が多いシャニマスとしては異色の「自分から他人を避け、輝きを見せないアイドル」であり、その性格・活動スタイルなどがカルト的な人気があるのだろう。
話は変わるが、外来生物・外来種という単語の響きになぜ悪いイメージがあるのだろう。
そうした問いを投げたときに、恐らく「生態系のため」「農作物の被害」などの答えなどが返ってくるように思う。
「日本にある生態系が変わる」「雑種によって本来の遺伝が変化する。」
それのYes or Noを問う意図はこの記事にないし、シャニマスにも(環境省はコラボ相手だし)ないだろう。
しかしながら、変化することを拒むことはよくない。という価値観は、シャニマスが作品を通じて伝えたいことの根底なのではないか。
白黒つける、という表現がよく使われているように、シャニマス的な評価基準ではどちらかというと黒側にある事柄であり、黒=闇という定義に当てはめれば、「生態系の変化を拒む」という行為は闇である。アイドルコンテンツとは
シャニマスのアイドルとしては異色のソロ活動をしているルカと、生態系の変化を拒む人々。
これらは闇の存在として、このコミュ内で描かれている。
しかしながら、これらの存在は決して悪ではない。
生態系の保護は一次産業への影響や固有の生物多様性、絶滅問題を考えれば必要、という実例を挙げて考えればわかるように、それぞれに理由・事情があれば、必ず正義・正しさが存在するからである。
さて、最初に『光と闇という概念はよく対比として用いられる』と言ったが、対比として闇が描かれているということは、光の存在も描かれている。
シャニマスと光、と言われて思いつくものは複数あるが(ex:イルミネ、シャイノグラフィetc……)、今回の「アイドルとしては異色のソロ活動」という点から考えるならば、「仲間との協力・協調」が光になるのではないか。
シャニマスにおいて常に描かれ、「仲間との協力・協調」をテーマにした話は数知れない。
しかしながら、それを「光」と置いたときに届かない部分、「闇」が生まれるのも確かである。
どういう形の闇か、どういうことであるのか。
その意味・定義も様々である。
少なくとも今回においては「光を拒む人たち」、言い換えれば「仲間との協力・協調を拒む人たち」として「闇」を描いている。
前述した通り、その「闇」は悪ではない。
個々人なりの理論・正義が存在し、それらの否定は個々人の否定・差別・嫌悪につながる。
しかしながら、闇に正義・理論が存在すれば、光の側にも存在するのは言うまででもなく、
対比関係にある正義と正義のぶつかり合いに勝者は存在しない。
だからこそ、何に対しても寛容な姿勢を見せること。
コミュ内の言葉を使えば「ドアを開けておく」姿勢が重要なのではないか。
そして、最後に暗喩された彗星の存在。
闇と光の存在が、どう交わり、黒色彗星も加え、どのような旅を紡いでいくのか。
これからやっていく物語の観測者として、見届けていきたい。
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