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コンタクトレンズ

朝起きてコンタクトレンズをつけようとケースの蓋を開けると、そこにあるはずのレンズがないことが、ままある。それも決まって右目の話。

確かにそこに入れたはずのになと思いながら記憶をたどると、たいてい前の晩はひどく酔っぱらっていて、あいにく記憶にございません状態なのが悔しい。

とはいえ週に一度はコンタクトをつけたまま寝てしまう自分のことだから、外してこすり洗いをして保存液に浸けた(いや、正確には浸ける前にどこかに落としているのだけれど)だけでも大々万々歳だ。


そこで問題になるのは、はてその右目のコンタクト、いつ落としたのだろうかということである。

こすり洗いのあと、ケースに入れる時にぽろっと落とすパターン。
まぁこれは仕方があるまい。あれだけ軽くて薄いものなのだから、人類の長い歴史の中で、幾度となく落とされ失くされてきたものに違いない。
その連綿たる歴史の中の1ページとして末席ながら参加させていただける由、ありがたき幸せ、である。

ところが、もうひとつのパターンが存在する。
眼から取り出して、洗う前に落としている場合、だ。
この場合はちょっと事情が違ってくる。

なにしろ、外した瞬間に失くしたのだとすれば、その後に訪れるこすり洗いの時間の説明がつかないのだ。
薄暗い蛍光灯のちらつく洗面台で、泥酔状態の三十過ぎ独身男が、人差し指を反対側の手のひらに突き立てている。いっちょ前に決して安くはない洗浄液で手のひらを浸しながら。

私は無を洗っていたのかもしれない。
ただ手をこすり、手垢を産出しているのだ。

その光景を第三者的に想像してみて、ただただ悲しくなった日曜日の午後。
ただ、もし愛する誰かが背中を丸めて、上機嫌に鼻歌なんか歌いながら同じく無を洗っていたとしたら、それはそれで微笑ましいことかもしれない。

というか、微笑ましいと思ってくれる人に早く出会いたい。
探したいけどだめだ、なぜだか右目の視力が足りない。

2023.8.27



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