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動画:半径100メートルの春を追って

3月に、同じ市内で引っ越しをした。

理由については色々あって、それはまた今度書くことにして(と言いながら、もう2か月くらい先延ばしにしている。そろそろまとめないと)。

新しい住居の何がいいかって、すぐ近くを川が流れているのだ。
そして、川沿いには延々と続く桜並木。
春爛漫の季節を前に引っ越しができたのは、ラッキーなことだった。

もちろん、川沿いの、それも低地に住むことは、水害のリスクを考えると手放しにオススメできることではない。
それに、私の住んでいるところは飲み屋やホテルも多く、治安で言えば悪いほうかもしれない。

ただ、そのあたりのことは事前に調べて自分なりにデメリットを理解した上で住むことに決めたし、実際住み始めてから今のところトラブルは起きていない。
(物件そのものではひと悶着あったけれど、それは土地柄ではなく管理会社のせいである)

さて、すぐ近くに桜並木があるというのは、すなわち通勤路が桜並木であるということだ。
ゆえに、ことしの春は、会社の行き帰りはもちろん、おやすみの日にもふらっと外に出ては桜を撮っていた。

単発ではぱっとしなくても、何日か続けると立派な記録になるもんだと我ながら感心したので、まとめも兼ねてinstagramに投稿した桜の動画を貼っておきたい。
なお、動画はすべてinstagramにリールとして投稿したもの。埋め込みでそのまま再生できればいいのになぁ、と不満を口にしつつ、リンクをペタペタと。
※追記 手慰みに検索したら、ご丁寧にリンクの貼り方を解説されているnoteを発見しました。ちーぼー様、ありがとうございますありがとうございます。


3月21日

桜の開花宣言2日前。木々は色づいてはいないけれど、光に春の気配を見る。
BGMはHomecomingsの「Herge」。
Homecomings=ホムカミとの出会いは、Amazon Prime Music。
シャッフル再生で流れてきた「アルペジオ」という曲にドハマりしてしまい、3月に京都で行われたライブのチケットを滑り込みで購入した。
ボーカルの畳野さんの声がとにかく優しくてあたたかくて、じんとする。
ベース・ドラムも女性なのだけれど、二人のコーラスワークが秀逸で、女声ならではの軽やかさはあるのに、薄っぺらくない絶妙な塩梅。
個人的にはベースの福田さんの安定感のあるベースラインがタイプ。なんなら身にまとう雰囲気もタイプ。要するにタイプ。
大学時代に結成されたバンドということだったのだけれど、ライブでは、洗練された曲とは裏腹に「大学生バンドみたいなMC」に驚いた。そこがまた、良い。
また生で聴きたい。ビールを片手に、できたら着席でうっとりと。

3月29日

5分咲き程度の桜並木。それでもピンクのボリューム感に胸の高鳴りがとまらない。
BGMはスピッツ「春の歌」。
衰えを知らぬ草野さんのハイトーンボイス。
そして、個人的「ベスト オブ スピッツをスピッツたらしめている要素」として挙げたい、ドラム崎山さんのスプラッシュシンバル。
いま咲きほころばんとする桜たちにぴったりの疾走感である。

4月2日

大阪管区気象台が発表した大阪の桜の満開は3月30日。
川沿いの桜の体感は、それより3~4日遅れているようだった。
土曜日の川面には行き交うたくさんの遊覧船。木の下にはレジャーシート。
幸せの瞬間は、1年のうちのほんの一瞬。
その刹那を貪り尽くすかのように、人々は桜花を見あげ歓声をあげる。
BGMは、いきものがかり「SAKURA」。
東京のはしっこに育った私は、「小田急線の窓にうつる桜」を見ながら青春を過ごした。
人生の春が一瞬であるように、ことしの春もまた、過ぎてしまえば一瞬だ。

4月4日

BGMはつじあやの「桜の木の下で」。
リールではCメロ~大サビを使ったが、穏やかなAメロ・Bメロも大好きである。
つじあやのの抑揚の控えめな歌声は、せわしない日常でふと立ち止まるきっかけを与えてくれる。
スピッツが、咲き誇る桜の花を散らす爽やかな一陣の風とするならば、つじあやのの歌声は、地面に落ちた花びらをふわっと舞い上がらせる優しい風なのだ。知らんけど。
ちなみに、中学時代にウクレレを弾き始めた自分にとって、つじあやのの楽曲を弾き語りすることは密かな憧れだった。
その後の嗜好の変化によってつじあやの愛が奥華子愛へと変化し、ピアノ弾き語りに憧れるようになるのは、また別のお話・・・。

4月5日

川面に手を伸ばすようにして咲く桜は、きれいに見える。
それはおそらく水面に反射する光がレフ版のように花びらを照らすからで、気のせいではないだろう。
そしておそらくは、桜自身もその水面の反射を太陽の光と勘違いして、その光の射す方への枝を伸ばしていたにちがいない。
優雅な姿かたちの裏に、貪欲に光を求める生命の躍動を感じる桜の木。まるで水面下で必死に足をバタつかせる水鳥のよう。素敵だ。
BGMは、河口恭吾「桜」。
桜をテーマにした歌って、僕とあなたの二人の世界で描かれることが多いように感じるが、気のせいだろうか。
「桜の木の下でみんなで笑いあったね」的な歌は、J-POPより合唱曲のようだ。みんなで笑う系の桜ソングをご存じの方がいれば、ぜひ教えてください。そういうの聴きたいのです。

4月6日

夕景に溶ける桜の美しさは随分前から目にしていたものの、なかなかカメラに収めることができずにいた。
空は真っ白になっちゃうし、シルエットの桜ってなんかうまく撮れないのよねと、諦めていたのである。
しかし、この日、川辺で夕日にスマホを向ける人を発見。その後ろから同じようにスマホを向けてみたら、きれいに撮れた。
ちょっとカメラに詳しかったりすると、なんとなくスマホというのを下に見がちなのだけれど、機材に関わらず素敵な瞬間を捉える人はいるし、そういう人の視点を貪欲に盗むことはとても大事だなと再認識した。
なお、今回まとめたリール動画のうち、3本はiPhone、2本はGOPRO、そして2本はミラーレスカメラで撮影している。どれもPremiereに取り込んで色はいじっているものの、並べてみると案外違いも分からない、かも。
BGMは手島葵の「明日への手紙」。彼女の歌声には夕暮れのような、揺れるろうそくの灯りのような、やがて消えゆくような儚さが宿る。でもそれは決して弱々しいものではなく、筋となって迷える誰かに安らぎと導きを与える光である。

4月9日

そしてきょう(撮影は昨日)。
中州になっている小さな芝生の広場で、おっちゃんがゴルフの練習をしている。
たぶん公園ルール的にはNGだけど、別にそんなことはどうでもいい。
いままさに花の季節を終えんとする桜、それに見向きもせず目の前のボールに夢中なおっちゃん。そんなおっちゃんに構わず橋の上を通り過ぎる会社帰りのサラリーマン。彼らを乗せ一息に過ぎていく電車。
街全体が優しい無関心の連鎖で不思議な調和を奏でているさまがいとおしい。
自分自身もその中に身をゆだねてみる。
桜に、電車に、おっちゃんに、夕焼け空に、レンズを向ける。誰にも注意を払われずに。
そうしていると、仕事のミスなんて大したことないと思えてくる。みんな必死に、目の前の何かだけを見つめて、その日その日を生きている。
BGMは、高橋優「明日はきっといい日になる」。
まさしくタイトルの通り、明日はきっといい日になりそう。


毎日見ていた川沿いの桜、花びらは大半が散り、その枝の先には若々しい新緑が早くも伸びてきている。
桜の木はこれから、毛虫製造機として疎まれる存在へと変わる。
花の命は短く、そしてその人気もまた、儚い。

いっとき注目されてすぐに忘れられる桜の花のような生き方か、
それとも、
最初から誰に何かを言われるわけでもないおっちゃんのゴルフボールのような生き方か。

幸せなのは、どっちなんだろう。
どっちもどっちで、幸せかな。


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