「Mac」じゃない「Macintosh」だ!
これは2014年のMac誕生30周年記念の時に備忘録として書いたものだ。
1月24日がMac誕生30周年ということもあって、あちこちでMacについての思い出が語られている。本家アップルのサイトにも、30周年記念のページが登場するほどだ。そんな流れに乗っかって、私もMacいや、Macintoshとの思い出を語ってみることにする。だって今のうちに書いておかないと、いろいろ忘れちゃいそうだから…。
そもそもAppleの存在を知ったのは、まだMacが誕生する前のこと。高校在学中にパーソナルコンピュータ(当時はマイコンっていってたけど)の存在を知り、いろいろ情報を集めていた頃だ。当時のパソコン御三家といえば「Apple ][」と「Commodore PET」そして「Tandy Radio Shack TRS-80」で、国内のメーカーもNECがワンボードマイコン「TK-80」を出したり、日立から筐体に入った「ベーシックマスター」が登場したりしていた時期だ。秋葉原の「Bit-INN」や、湯島の「イーエスディラボラトリ」に出入りし始めたのも、この頃だったように記憶している。
本体デザインのカッコよさでApple ][が欲しかったが、とても高校生の身では買える値段でもなく、それよりもカメラにお金をかけていたので、どうしても手に入れたい的な購入熱はなかった。ただ、秋葉原で売られていたAppleコンパチ基板には何度か手を出した。
今では考えられないことだが、Apple ][は回路が公開されていたので、それを基に色んな種類のコンパチ基板が売られていたのだ。パーツリストを参考にICや抵抗、コンデンサなどの部分を用意してプリント基板にハンダ付けしていくと、Apple ][の互換機が完成する。ROMの内容も公開されていたし、ご丁寧にも本物そっくりのプラスチックケースやキーボード、電源、Apple ][のエンブレムが書かれたプレートなども売っていた。もろ海賊版てやつですな。
最初作ったコンパチ基板はうまく動かず、その筋の情報通から『プリント基板上に“HOGE”という文字が入った基板が確実に動くらしい』というアドバイスを受けて2〜3回、作りなおした記憶がある。
そんな高校生活を終えて進学したのが、大久保にある「日本電子専門学校」だ。それまでコンピュータ系の専門学校というと、COBOLやFortranなどの学科しかなかったが、国内で初めてハード/ソフトの両方を教えてくれる「マイコン科」が新設されたというので『マイコン関係の仕事につけば10年は食っていけるだろう』と考えて入学した。
ハードウェアの授業でTK-80コンパチのボードマイコンを作り、ソフトウェアの授業ではそれを使ってアセンブラのプログラミングを覚えるのが最初のカリキュラム。ボードマイコンが動かないとアセンブラの勉強ができない。恐るべし泥縄式学習法だ。プログラムの教室には憧れのApple(確かカタカナ表示ができるようになった ][ J-Plus というモデル)があったが、実際にBASICの授業で使ったのはCommodore PET 2000だった。
卒業間近に自分のマイコンが欲しくなり、いろいろ機種選考した結果、富士通の「FM-8」という機種とカラーディスプレイ、そしてエプソンのドットインパクトプリンタを購入した。それでもApple ][を買うより安かった。「ASCII」や「マイコン」、「I/O」などのパソコン雑誌に掲載してあるソフトのソースリストを打ち込んでゲームを楽しんだり、BASICで簡単なプログラムを試したりする程度の使い方しかしなかったけど…。
2年間のカリキュラムを終えた頃には、予想通りマイコン科には生徒1人あたり数十社という争奪状態で企業からの就職案内が来た。選び放題だったが同級生の会社見学につきあったのが縁で、埼玉にある製造機器メーカに就職することになった。プログラマとして採用されたのだが、入社前の3月から最前線に放り込まれた。コンピュータ制御で動く製造機器の開発部署で、連日連夜の激務が続いた。今なら確実にブラック企業と呼ばれるだろうが、当時のベンチャー企業なんてみんなそんなもんだった。
担当したのが、機械を制御するためのプログラムを入力する端末部分のソフト開発。端末部分のハードを開発している時間がないとかで、NECのPC-8001をそのまま使うことに。秀和から発売されていたPC-8001の内部解析本などを参考にしてプログラミングを開始した。
1か月後、まだ機械の影も形もできていないのに納期が迫っているからという理由で、他の新入社員はだま研修中だというのに、そのまま機械と一緒に納入先の工場に出荷され、夏過ぎまで現地でプログラム開発を続けることに。機械と一緒に売り飛ばされた気分だ。
納品場所が東北だったこともあって、当然ホテル暮らし。一緒に行った上司や先輩がいつもお金を払ってくれたので、その間、自分の財布はほとんど開くことはなかった。給料が今のように振込じゃなかったので、会社の金庫に預けたまま。夏が過ぎてボロボロになって帰ってきたら、次の機械の出荷が待っていて、また一緒に現地への繰り返し。気が付くと1年経って、経理から『給料12ヶ月分とボーナス2回分を預かっているので早く取りに来い』とクレーム付けられる始末。やっと落ち着いた頃に、結構な金額の入った封筒の束が私の手元にやってきた。
まだ若かったし、実家から通っていたし、江戸っ子なので宵越しの銭なんか持たないし(ホントか?)。もうこれは一気に使うしかない。さっそくそのお金でLeica M3を買い、余ったお金で(笑)当時発売されたばかりのApple //eとカラーモニタ、5インチフロッピーディスク装置のDisk IIを2台を購入した。これが私にとって最初のApple製品になった。
Apple //eでは、WizardryやUltimaなどのRPGをはじめ、ロードランナー、チョップリフター、ピンボールコントラクションセットなど、ほとんどのゲームを購入して楽しんだ。今考えると、Apple //eは完全なゲームマシンだった。ジョイスティックを何本も壊した。
そんな時、Appleつながりで知り合った人から、『今度、イーエスディラボでAppleの新しいパソコン発表会があるから一緒に来る?』と声をかけられた。それがユーザ向けなのか、それとも業者向けの内覧会だったのかは忘れてしまったが、そのとき目にしたのがMacintoshの前身ともいえる「Lisa」だ。
噂には聞いていたが、初めて見たLisaのユーザインターフェイスは衝撃的だった。マウスを使ったGUIもそうだが、パワーボタンを押せば、作業中の書類が次々と閉じて電源が落ちる。電源を入れれば、前回開いていた状態まで自動的に書類が開いて戻ってくれる。最近では当たり前の機能が、この時既に実現していたのだ。
強烈に欲しいと思ったが、本体と基本ソフトのセットで確か230万前後という値段に打ちのめされた。それでもなんとかお金を工面して買おうかどうか、しばらく悩んだのを覚えている。『Lisaのコンパクトタイプが出るらしい』との噂を聞きつけ、そっちなら少しは安いだろうと待つことに。それが1984年に発売された初代の「Macintosh」だ(あ〜やっとMacに辿り着いた…)。
それまでApple製品は、東レやイーエスディーラボラトリが扱っていたが、そこにキヤノン販売が参入した頃だったような気がする。パソコン通信(まだインターネットなんてなかった)や海外の雑誌などには、次々とMacintoshに関する情報が掲載されたが国内販売の発表はまだない。そんな時、知り合いの営業マンが出張でアメリカに行くことになり『現地でMacintoshというパソコンと、それで動くソフトを買えるだけ買ってきてくれ』と彼にお金を渡して頼み込んだのだ。100万近い現金の持ち出しやら、買った製品をどう国内に持ち込むか大変だったらしいが、彼の努力というか私の脅しもあって、無事にMacintosh一式を手に入れることができた。つまりMy First Macは、初代のMacintoshなんだ。ちょっとドヤ顔で自慢したい(笑)。
当時のMacintoshは英語システムのみ。3.5インチ2DDのフロッピーディスクにシステムとバンドルソフトが2本入っているという、今では考えられないコンパクトさ。ペラペラのガイドではなく立派な取扱説明書も付属してたけど、もちろん英語だ。参考になる書籍や雑誌なども、ほとんど海外のものだった。それでもパソコン通信で仕入れた情報や、海外の雑誌を定期購読なんかして、Macintoshに関する情報を貪欲に仕入れた。
しばらくして国内でもMacintoshが発売されたが、ローカライズなんてされていない。強気にも英語システムをそのまま発売していた。後継機種の「Macintosh Plus」が登場した時、Macintoshを買ってきてもらった営業マンが『俺もMacintoshが欲しい!』と騒いだので私のMacintoshは彼の元に。その売却代金に手持ちの資金を加えて、「Macintosh Plus」を購入した。これは今でも私の手元にある。手放すことはないだろう。
それからはMacintoshと戯れる日々が続いた。今思い出すと笑ってしまうがキャリングケースに入れて毎日、会社に通っていたのだ。MacBookをカバンに入れて通勤するのと同じだ(違うって!)。
会社でいろんな人にユーザインターフェイスを見せたり、Mac PaintやMac Writeを使ってみせたり。ユーザインターフェイスの研究開発をしていたこともあり、参考にするからといって次々と歴代のMacintoshを経費で購入した。ソフトや周辺機器なんかも買い放題だ。
そろそろ会社に無駄遣いがバレそうになってきたので、取扱説明書や技術資料を作成するためのシステムを構築すると大ボラをふいて、日本語フォントを搭載した「LaserWriter II NTX-J」を購入した。もう社内に詐欺師を飼っているようなもんです。「Macintosh IIcx」でLocalTalkのネットワークを構築して、開発部署でペーパーレスやメールシステム(ローカルのね)を試したりもした。でもMacintoshに浮かれているのは、社内で私ひとりだった。
この頃になるとプログラム開発にも飽きてきて、ひたすらMacintoshで遊ぶ毎日。『ソフト開発もせずに何やらオモチャみたいなパソコンを会社の金で買いまくっている輩がいる』と上からのクレームも耳に届き始めたので、今まで書いてきた取扱説明書をMacintoshを使ってDTPしてマトモなものに仕上げることにした。なにせマンマシンユーザインターフェイス部分を自分で開発したので、最初は私しか使い方を説明できる人がいなかったのだ。というわけで機械と一緒に出荷されて、客先で使い方を講習するというのも私の仕事だった。その時、簡単な説明書も自分で書いていたのだが、最初は手書きだったし、その後、ワープロ専用機で作り直して体裁を整えたりしたけど、とても高額な製造機器に付属の取扱説明書には見えない。図版の部分は、手書きや設計部署に頼んで立体画を用意してもらい切り貼りしていた酷い内容だったのだ。これをMacintoshと「Aldus PageMaker」を使ってDTPした。大変だったけど結構楽しんでこの作業を続けた。
そのうち書く方が面白くなってしまい、ゼロックスが開催していたテクニカルドキュメントの作成講座なんかにも行ったりして、どんどん脱線し始めた。会社が大きく成長するにつれ、内部のゴタゴタなどが増えてきた。自由勝手に仕事ができる日々が終わりに近づいていた。そんな環境に嫌気が指して、16年務めた会社を辞めることにした。研究開発部署にいたこともあり『ライバル会社に再就職したら…』と遠回しに牽制されたので『明日からライターになりますからご安心を』と捨て台詞を吐いて退職したものの、なんの伝もない。約半年は、毎日カメラを持って自転車で都内を回って写真を撮る日々が続いた。
退職金も底をつきはじめた頃、パソコン通信の「日経MIX」つながりでフリーソフトのレビューという仕事にありつき、その後、某デジタル事典の制作に関わり、やっとMac系の雑誌で仕事ができるようになり今に至っている。あ〜なんかMacintoshとの思い出っていうより、私の思い出になってしまった…(苦笑)。
そんなこんなでMacintoshとの関係も30年になる。無理やり漢字ROMを搭載して日本語化したMacintoshや、日本語と欧文のフォントバランスが滅茶苦茶な「漢字Talk」の登場から進化もリアルタイムで目にしてきた。漢字Talkに頼らず日本語化する「GomTalk」にも大変お世話になった。市販ソフトやオンラインソフトも数多く使った。
アップルの浮き沈みにもファンとして一喜一憂してきた。これからもそうだろう。パソコン通信の「日経MIX」がなかったら、ライターとしての私は確実にいない。日経MIXを利用するための「CoMIX」には感謝しきれない思い出がある。この取扱説明書を作ったこともライターになるきっかけの1つになった。Appleコンパチ基板に書いてあった“HOGE”という文字の意味が分かったのも日経MIXのおかげだ。
あれから30年。MacintoshやMacintosh Plusだけでなく、SE/30、IIfx、LC、PowerBook 100、PowerBook Duo 230、MessagePad 120、PowerBook 540c、PowerBook 5300、iMac、PowerBook G3、iBook、iPod、PowerBook G4、iMac、iBook G4、iPod mini、iMac G5、iPod shuffle、iPod nano、MacBook、MacBook Pro、iPod touch、iPhone 3G、MacBook Air、iPhone 3GS、Apple TV、iPad、iPhone 4、iPad 2、iPhone 4S、iPad mini、iPhone 5、MacBook Pro Retina、iPhone 5s、iPhone 5c………いったいApple製品にいくらお布施してきたのやら…。
今ではMacと呼び名は変わってしまったが、やっぱりMacintoshの方がシックリくる。ビル・ゲイツがなんと言おうとWindowsはMacintoshのパクりだ。Windowsを使うと魂が汚れると今でも思っている(笑)。
iPhoneやiPadもいいけど、やっぱり私はMacintoshが好きだ。
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