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【道】 第2回 吉田茂怒らせた〝開かずの踏切〟(国道1号/神奈川県)

大都市の道で鉄道と交差する踏切は邪魔でしかない。特に朝夕のラッシュ時は〝開かずの踏切〟となるため、自動車社会の進展とともに、なお敬遠されるようになった。

国道コラム(2) 戸塚大踏切


日本の基幹国道である国道1号にも、都市部でありながら踏切が残る場所がある。神奈川県の横浜市戸塚区にある戸塚大踏切(東海道踏切)だ。遮断時間は平日の午前7~8時の時間帯で最大57分。通過できるのは3分間しかない。そのこともあり、午前6~9時と午後4~9時の間は、幹線国道でありながら車両通行止めとする措置が取られている。

この踏切の存在を一躍有名にしたのは吉田茂元首相だった。大磯に居を構えていた吉田は東京への道中にある戸塚大踏切の遮断と渋滞に業を煮やし、バイパスとなる戸塚道路の着工を命じたという。かつて有料道路だった戸塚道路も償還を終え、今は無料化されているが、鶴の一声で造られた「ワンマン国道」として地元で語り草になっている。

今より自動車が少なかった時代にそれほどひどい渋滞があったのかと調べると、1952(昭和27)年には日曜日の調査ながら1時間で46分の遮断時間があり、車の渋滞が6キロに及んだとの旧建設省の調査報告がある。「開かずの踏切」は、何も近年に始まったわけではなかった。

白洲次郎の娘である牧山桂子さんの著書「次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家―」に、戸塚大踏切が開いているか閉まっているか賭けをする吉田のエピソードがある。開いている方に賭けさせられてしまった桂子さんが勝ち、負けた吉田がにこやかに、少女だった桂子さんにお小遣いを手渡す。それを聞いた父の白洲次郎は「吉田のじいさんが戸塚の踏切を通る時は、必ず開いている時を計算して通る」と言って笑ったとされ、それは祖父の樺山愛輔を亡くした桂子さんをいたわる心遣いでもあったことが書き留められている。

その踏切も戸塚駅前の再開発で数年後になくなる。地元の人々には不便極まりない踏切だが、その警報機の音が響かなくなったとき、懐かしく語られるようになるのではないだろうか。

2010・10・15 記
時事通信社出稿

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