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【道】 第7回 奇抜なオブジェの橋と大正国道(国道117号/長野県)

長野県飯山市の千曲川に沿って延びる田舎道。国道117号の旧道を走っていると、奇抜な球体のオブジェが欄干を飾る橋に遭遇する。一見、現代アートのようにも見えるが、それにしてはあまりに古びている。鈍(にび)色の風合いは一朝一夕に出せるものではない。

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この橋は「出川橋」という。橋梁(きょうりょう)の親柱を見ると、片方に「1950・12月竣功」、もう片方に「国道十号線」というプレートが埋め込まれている。国道10号といえば、起点を門司、終点を鹿児島とする九州の国道だ。長野県とは無関係なはずだが…。

実は、出川橋の国道標記は誤りではなく、大正時代の国道体系だった「大正国道」の路線番号が示されている。1920(大正9)年に認定された国道群を「大正国道」と呼ぶ。戦後の52(昭和27)年から53年にかけて国道が再指定され、現行の路線番号に変わった。だから出川橋の「国道十号」の標記は、その変革にかかる寸前の記憶をとどめる貴重な国道遺産なのだ。

当時の国道10号は東京と秋田を結ぶ路線で、その経路がまた独特だった。まず東京から高崎へ北上。ここから碓氷峠を越え長野へ向かう。続いて千曲川に沿って新潟方面へ切り返し、新潟からは日本海沿岸を北上して秋田へ向かう長延なルートとなっていた。出川橋は、その長野から新潟にかけての区間にある。

このような奇妙に見えるルートを取ったのは、群馬と新潟の間を急峻(きゅうしゅん)な谷川連峰が遮っていることによる。近代交通と谷川連峰の関わりを見ると、鉄道の清水トンネルでさえ、開通したのは31(昭和6)年。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の書き出しで有名な川端康成の名作「雪国」は、その4年後に発表された。道路用トンネルに至っては戦後の57(昭和32)年、国道17号の三国トンネル開通を待たなければならない。谷川連峰は戦後まで近代交通を遮っていた難所だった。

出川橋のような古い構造物を見ることは、旧道をたどる楽しみの一つ。橋を渡る際は、その意匠を鑑賞し、気になったら橋梁の親柱を見てみることをお勧めしたい。

2010・12・5 記
時事通信社出稿

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