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弱者に牙を剥く「中流」者たち(1)【「相対的高負担」に苦しむ中流階層の現実から見えること】

少し古い記事ですが、文春オンラインに、考えさせる記事を見つけました。

これまでモヤモヤしていた何かに一つの方向性を持たせてくれた記事だと感じています。
それは、記事の中にある↓の部分です。

 ここ数年、「本当の貧困」という言葉が表すものについて考えさせられることが多い。
   こうした言葉を使うのは多くの場合、(中略)「この人の苦しみは本当のものであるか否か」を勝手に見定め、ジャッジし、「偽物」だと判断した相手に対しては徹底的に攻撃をはじめるような人々である。
 彼ら彼女らは自分たちが認める「弱者」以外には残酷なまでに厳しく、そこにある困窮の実態や福祉介入の必要性を完全否定し、さらには権利や声まで奪おうとする。そしておおむね、このような「貧困ジャッジマン」たちは生活困窮の当事者ではなく、いわゆる中流階級以上の人たちだ。

記事より(太字は筆者)

筆者の吉川ばんびさんは、中流階級「以上」と書かれておられますが、私は中流階級そのものではないかと思っています。「中流階級より上」=「上流階級」の人たちは、そもそも弱者が視界に入っていないと感じるからです。

今も昔も国の方向性においてカギを握っているのは、中流の人たちであると思っています。

ただ、残念ながら、その中流の人たちの一部は、よくない方向にベクトルが向いているとも感じます。弱者に厳しい中流者たちの存在もその理由の一つです。

今回、なぜ中流階層(本稿では、中流階層として書いていきます)の人たちは、弱者に厳しく、牙を剝くのかを3回に分けて考えてみたいと思います。

初回のテーマは、相対的な負担の重い中流階層の現実です。

現在、内閣支持率が下がり続けています。増税メガネという言葉が浸透しているようですが、前の2代の内閣時代なら「けしからん!」という人たちも多かったように思いますが、今はそのような動きを感じることはない。

これは、実感として中流階層が負担増のターゲットとして狙われているという実感があるのでしょう。

所得税減税も国民への訴求力として弱いのも、たった4万円を1回こっきりで支給されても、自分たちの高い負担感は解消しないという中流階層の実感があるからだろうと思います。

さらに、今の中流階層のメンタリティーとしては、下流階層に転落せずになんとか毎日の生活が維持できているというくらいの認識であり、その代償として相対的な負担増を実感している。

そのことが、下流階層に対して厳しい認識が生まれるのかなと感じています。

一方で、上流階層への攻撃性が弱いのも時代を感じなくもありません。

今の中流階層の人たちは、上昇志向のある人たちが多く、つまり、みんなと同じで中流で安心と考えていない人たちにとって、頑張ればワンチャン上流へのステップアップが可能という認識でもあるのかなと思います。

そのため、未来の自分が上流に仲間入りすれば、「相対的低負担」が待っていることが、福音と感じているのかなと思わなくもありません。

ただ、個人的にはそのようないびつな負担割合で社会が持つのかは疑問でもあります。

また、下流階層への厳しい視線は、実はリアルではこちらに転落する可能性の方が確率が高い。

なぜなら、生成AIの登場などで、テクノロジーの進化はビジネスを短期間で激変させており、未来への見通しはこれまで以上に不透明ですし、そもそも、誰であっても病気やケガで今の生活を維持できなくなるという現実は新型コロナウイルスのまん延もあり、あり得る話なのですから。

そんな複雑な心理状態にあるのが今の中流階層の現実なのかなと感じています。万が一、何かあっても換金できる資産に乏しい中流階層にとって、今の時代は、見かけはよくても生きづらい社会なのかもしれません。

少なくとも、今の政府の考えは、この中流階層の気持ちに寄り添っているわけではないように思います。それがピントを外した政策を連発している背景にあるのかなと感じています。


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