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数学は運という受験生の諦念のリアル【「選抜機能強化」か「才能の発掘か」それとも・・・?】

大学入試共通テストを通じて、今の大学入試を考えています。

今回は、最近の受験生が口にするようになった、「共通テスト数学は運」という理解についてです。

「共通テスト数学は、何をどのように勉強すればいいのですか?」

この疑問に答えを出せない1年だったと感じています。結論を言えば、「何をどうすればいいかをわからなくするための試験」。それが共通テストであり、特に数学はそれが顕著だと理解しています。理科も一部これに含まれます。

大型動物を殺す毒は、小動物も殺すという「当たり前」に帰着した昨年の数学

昨年の問題を細かく分析し、他の方の分析も拝見すると、昨年の共通テスト数学はいろんな面で「異例」で「異様」な問題だったと感じます。それは、「上位層を狙い撃ちした」と言っても過言ではない、苛烈な問題構成だったからだと思っています。細かくは書きませんが、あの手この手で上位層の点数を引き下げる問題だったとしか総括できません。

それは結果として、階層構造となる受験生の分布を考えると、総崩れとなる必然を生み出したと思っています。

大型動物を殺傷できる「毒」は、当然において小動物をも殺す「毒」となったと言えるのでしょう。

共通テストの出題意図

この一年、共通テスト数学ショックによって、模試や対策教材にどんな変化をもたらすのかを注視してみてきましたが、結論を言えば、「何も変わっていない」か「混乱に拍車をかけた」ということなんだろうと思います。

AI時代において、未来を担う若者に必要な学力を求めることが、うっすらと感じる主旨なのだろうと思っていますが、そのための中心となる考えに「何をどうすればいいかをわからなくするための試験」が鎮座しているのだろうと感じます。

私の予想としては、「全く見たこともない問題」を解かせる設問が今年も入るだろうと思っています。

ただ、そのような意図とは裏腹に、この試験を受ける受験生の反応は意図通りになっていないのではとも感じます。

共通テスト数学は、運と割り切らないといけない諦念

これを受験生の視点でとらえなおすと、

「共通テスト数学は、何をどのように勉強すればいいのですか?」
という問いに帰着します。

どのように対応すればいいのかを「自分の頭」で考え、「自分で行動する」受験生こそが「理想」ということなのでしょうが、そんな若者は、「大人の幻想でしかない」と思います。

高校生は、日々忙しく勉強に追われているのが現実であり、出版物や学校の受験対策をも含めると広義の受験サービスにアクセスして対策するのがせいぜいです。そんな彼らの日常から多大なリスクを負って、得られる保証もない行動をすることはあり得ません。

入試問題を多少変更しても、受験サービスの範囲内での対応がせいぜいなのです。

今年の受験生はそのような混乱の渦中にいます。そのような自分ではどうすることもできない現実では、結局のところ
「共通テスト数学は運」という諦めにもにた、ニヒリスティックな受験観を醸成させているように思います。

新しい学力観は理解できるが・・・

大学入試共通テストは、新しい学力観を育てようという意図は感じます。それはそれで、間違った方向性ではないと思っています。しかし、あまりに観念的で実行性に乏しくなっていることがとても気になります。

昨年の数学のように過度な「選抜機能」を付帯したり、「才能の発掘」を意図するような試験の方向性は、マジョリティの存在を無視した「頭でっかちな大人」の浅はかさを感じなくもありません。

もしかしたら、「何をどうすればいいかをわからなくするための試験」は、そもそも出題する側が「何をどうすればいいかがわからなくなっている」から生じているのかとも思わなくもありません。

そうであっても不思議ではない昨今の社会情勢の難しさではありますが、衰退国家としての一現象というとらえ方をすれば、「あり得なくない」とも感じます。これについては、これからの共通テストが証明していくのでしょう。




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