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生成AIの物語は、まだはじまったばかり【待ち受ける未来は、ユートピアか、それともディストピアか】

生成AIに、ゼロから何かを創作する能力はまだない。この認識で間違っていないでしょう。

しかし、異常に発達した「機脳」は、人間が創りだした成果物から大量の要素をデータとして抽出し、編集、合成してアウトプットすることができるようになりました。
そのような段階で確実に起こること。それは、成果物のフリーライドであることは間違いないところです。

まずは、この問題は当然に議論されるべきものでしょう。そう思える主張が出たようです。

翻訳家の高橋さきのさんの主張です。この問題を何の議論もなく通り過ぎてしまえば、生成AIは、人類の創作を破壊することになるでしょう。なぜなら、人間は創作の対価を得ないと生きて(生活して)いけないからです。創作物に対価を支払わないことは、搾取というだけではなく、暴力とも言えますし、極論すれば、人間を殺しにかかっているとも言えるからです。

はじめて「植民地主義」という語彙を使いました。今生成AIをめぐって生じている事態は、新たな植民地主義です。 = なんで我々が我々の仕事を勝手に使われたうえで仕事から追われ、我々の仕事を使った側は、それをサービスとして、それ自体を有料で売ったり、広告料というかたちでお金を得たりするのか

「仕事の成果物」という「土地」。 なぜ対価も払われずに、奪われねばならないのか。

なんとかグラムとかいう仕組みで、ぶつ切りにして使うんんだから、著作権法上問題がないとかなんとかいう勝手な理屈をぶちあげるのなら、我々の成果物などもともと使わないでやってもらいたいもの。結局使わないとできないのに、何も支払わない。

ある語彙とその修飾語(例:おいしい食べ物=おいしい+食べ物)なんてありふれてるから我々翻訳者には我々翻訳者が使ったありふれた表現に対して我々翻訳者には何も権利がない……というのなら、我々翻訳者の訳文など使わないでください。 ありふれていない表現だって使われているわけで。

「資本主義なんてそんなもの」などで片付けられてたまるものですか。植民地主義ですよ。 生態学用語の「共生」などで片付けられてたまるものですか。「片利共生」であり「寄生」ですよ。

「私」が仕事をする下流で待ち構えていて、びた一文も支払うことなく、「自分たちの機械」に燃料とした取り込んでいく人々がいるという事態。こういう事態を、古典的用語では丁寧にいうなら植民地主義、日常語でいうなら「泥棒」っていうんです。

特に、日本の場合は、すでに出回っている訳文を使うというのですらなく、「私」や「我々」が訳文を生成するのを待ち構えていて、それをただちに奪っていくという諸外国とは異なる法体系になっているわけで、著作権法改悪に携わった法律家は恥を知れ。

もう、苦労して編纂された「辞書」やら、私のケースでいえばある種の「活用辞典」である『アカデミック・フレーズバンク』(何年もかかっています)などを、出るはしから一切の対価をはらわずにスキャンして取り込んで、自分たちの金儲けの道具に使うわけでしょう。泥棒そのものです。

そして、そうした泥棒行為を「組織的」かつ「合法的」に行うというのだから、もう植民地主義としかいいようがありません。

真偽のわからないものもすべて取り込んで、それを内部処理して出力してるんだと生成AI側は言うのでしょうけれども、多くの辞書や拙訳書(活用辞典的書籍)は、言語処理のコア部分として対価支払いもなく使用されているわけで、とんでもないことです。

かりにレファレンス的書籍と通常の文章が生成AIの場合には重みづけとして一緒だというような事情が主張されたとしても、根本のところの理不尽さには何も変わりはありません。何年もかけてこしらえた文章を機械にぶちこまれているのは一緒なわけですから。

高橋さきのさんのツイートより

また、このツイートツリーへの返事として、投稿された↓について

これも重要な指摘。生成AIは、社会にインパクトが大きいが故に、無批判に肯定している人が多いのが気になります。これはちょっとヤバいのでは?

自分は絵描きじゃないし、ライターでもないから無問題とか嘯いていれば、あっという間に火は自分の仕事に襲い掛かって来ても何ら不思議ではありません。

上手に使いこなせれば、ユートピアとはいかないまでも、人類は進歩できるかもしれない。しかし、資本主義の搾取と結びつくと、これはディストピアに真っ逆さまに落ちていく可能性も否定できない。

ここで手を間違えると、いきなりチェックメイトなのかもですね。






このツリーの主張は、生成AIの問題として今後大きくなると見ています。
便利さの裏に潜む巨大資本の搾取。


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