京大文系数学の洒落っ気と森毅先生の思い出【入試問題から見える個性の源泉】
京都大学は、日本の大学の中で個性的な存在であることは、誰もが認めるところでしょう。
その象徴なのが、ノーベル賞を受賞された山中伸弥先生ではないかなと思っています。大学、大学院、初期の研究拠点において、京都大学との接点はなく、研究業績で一本釣りされた先生です。自前主義の東京大学とはこの点で大きく異なっているのではと思っています。
学生時代、京大教養部の教授だった森毅先生の本を乱読した自分には、京大らしさについて強い親近感をもっています。
塾講師をしていると、入試問題にもその個性的な片鱗を感じるところがあります。その一例として、文系数学の構成があります。
京大文系数学は、数学が得意な人にも苦手な人にも配慮のある構成になってのがそれです。
経済学部があることもあり、数学を簡単にする選択肢はありえず、それなりの勉強を求める点はやむを得ませんが、苦手でもぼちぼち勉強しておいてねというメッセージを感じる問題が毎年数題入ります。これは、数学の苦手な受験生には福音となっているのではと思います。
なにせ昔のことなので、記憶が間違っていたら申し訳ないのですが、先の森先生の本の中に、文学部に数学は必要ないという議論があり、ほどほどの問題を出す意味がある一方で、文学部なんやから、数学ができるけったいな学生がおってもいいやろという議論があるとの記述がありました。
このような学生観は、京大らしいなと感じます。
変化の激しい時代だから、入試改革をという意見は、それなりに正しいと思うのですが、ちょっと力が入りすぎではとも思います。
まじめに考えすぎず、ちょっと脱力してみてみると違った視点が出てくるのではと思いますし、一般入試だって捨てたもんじゃないとも思うのは、この京大文系数学を見ても感じます。教養部がなくなっても、このような京大の洒落っ気はまだ健在なのではと思います。
昨今の気忙しい時代に、森先生ならどのような意見をされるのか、とても興味があります。1年でも長く生きていただいてほしかったとつくづく思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?