非一般入試入学者の高GPA説の納得の?根拠【彼らは本当に「優秀」と言っていいの?wakatte.tvが暴く闇】
月曜日からwakatte.tvについて投稿しています。3日目の今日が最終日です。
理系担当なので、あまり縁のない大学である上智大学。理系学部もありますが、志望している受験生とは、お会いしたことはないです。
そんな上智大学ですが、福岡市にはカトリック系の学校や上智大学の系列高もあるので、推薦入試について「いろいろな噂」は聞く学校でもあります。
まあ、私学なので、基本は好きにすればいいのかなと思っていますが、やはり、推薦の枠が多いのは、wakatte.tv的には番組のネタの格好の標的になるのでしょう。
そこで、なるほとと思ったのが、
巷間、流布していると感じる非一般入試入学者の高GPA説です。
一般入試で入った学生からすると、信じられない光景なのでしょうが、
「(評価のためには)手段を選ばない」というのは、いろいろ聞くウワサと妙にマッチングしてることもあり、納得感があります。
「評価される」ことが恣意的で、自分の枠外にあれば、どんな手段を使ってでも・・・という思考になるのはやむを得ないところがある。
また、一般入試で積みあがる地道な努力のノウハウがないことも問題で、どうしてもこうなってしまうのも無理のないところでもあるのかもしれないので、
やっぱりかー
という印象もあります。
世の中的には、高GPA=優秀ととらえられているようですが、個人的には懐疑的です。否定しているのではなく、文字通り疑っています。
そもそも、優秀であることは、多義的であると思うので、一律な数値化は一面を説明しているに過ぎないという点が大きいです。
なので、非一般入試入学生が高GPAであるから、入試制度として問題ないという主張には、首肯できないものを感じます。
また、塾の現場の目線では、非一般入試を目指す受験生はやはり異色の存在で、
・受験勉強をコスパでとらえる。
・必死に受験勉強をしている周囲に冷ややか など
人間性という点からする微妙では?という方が一定数含まれるのはある程度は言えるのかなと感じています。
こうなってしまう背景には、一般入試で問う学力が定量的であるのに対して、総合型選抜入試で問われるものが、一定の時間をかけて醸成されるものが少ないという点があるからだろうと思います。
学ぶ意欲についていえば、そもそもが定性的であり、見せ方の工夫次第では、付け焼き刃が十分通用してしまうのは、やむを得ない。この点は、私は揺るぎない事実だと思っています。
あと、気になるのは、高田ふーみんさんがポロリと漏らした、
「ずるい入試方式ではいったんやから、そうするしかできひんもんな」という点は、ある一面を言い当てているとも思います。
「ずるい入試方式」は横に置くとしても、「地道にやることがばからしい」という価値観を身に着けてしまった場合、のちの人生に影響があるのではないかという点はあるのだろうと思うのです。
どうしても、↓の「待ちぼうけ」の怖さを感じます。
人間なので、どうしても努力と成果のアンバランスを一度でも体験してしまうと、勘違いを醸成してしまう。
なので、総合型選抜入試が、その専門塾から
・総合型選抜入試を知らないなんてもったいない
・総合型選抜入試なら、志望校に行ける
などいったコピーを流布させている状況はいいこととは思えない。
その点は改めて実感していることでもありますね。
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