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文系受験生の戦略の難しさ③(終)【生き残るための学び】

文系受験生の戦略の難しさを考えています。前回はこちら。

最終回の今回は、文系受験生が気を付けて欲しい点を書いてみます。

気を付けてほしいのは、大学を役に立つ、役に立たないで見ないことです。

最近、底辺の仕事ランキングとか、Fラン大学一覧で就活の教科書というサイトが炎上したようです。

こういう記事が出る背景には、インフルエンサーたちが、偏差値〇〇以下の大学に行っても無駄だなどという発言で、世間を煽っていることがあるのかなと思います。

個人的には、一つの価値観から見れば、ある程度正しいと言えるのかなと感じますが、その一つの価値観がそもそも怪しいので、このような主張こそに意味がないと思っています。

その一つの価値観とは、大企業に就職することがいいとか、これまでのこの国の社会で形成されていことですが、これが前提としていることのおめでたさを感じるのです。

この国は先進国とは名ばかりで、GDPで中国に抜かれ、平均賃金で韓国に抜かれた衰退国家です。教育に投資をしないので、未来もかなり絶望的です。

ダウントレンドの国で、これまでの常識が機能すると考える方がどうかしていると私は思いますが、就活の教科書が掲げた価値観は、これまでの価値観が変わらないことを前提にしていることに終末観が漂っているように私には見えます。

近未来に大学のランキング(序列)が変わるとは思っていませんが、大学のランキングそのものが意味をなさなくなることは、十分ありうると思っています。

事務処理能力をベースとした実務能力の高さと偏差値の相関性は、ある程度証明されているのではと思います。なので、大企業はシャカリキになって高偏差値の大学の学生を採用しているのでしょう。

しかし、コンピューターの性能が向上し、事務処理が徐々に自動化されていく可能性が高い未来において、今の入試制度を突破した高偏差値の学生の有用性は必ずしも保証されているわけではないと思います。

もちろん、優秀な人材は、確率的に高偏差値の大学に偏ることは間違ないとは思います。なので、高偏差値の大学の優位性は変わることはないと思いますが、未来を切り開く人材像は、今とは違った価値観になっている可能性は十分ありえるでしょう。つまり、高偏差値の大学の学生であることで未来が保証されることはないのではと思います。

その点において、現時点の価値観で、役に立つ、役に立たないはハッキリいって、悪い思考の筋立てではないかなと感じます。

大学での学びと将来の仕事の相関性が薄い文系受験生であればあるほど、どんな行動を取れば、この衰退国家の中で生き残ることができるかを考える力は求められているのではと思います。

それは語学かもしれないし、プログラミングかもしれない。もしかしたら、哲学かもしれません。

一般解は存在しない以上、自分の答えを自分で出さないといけない。そんな時代に受験生は生きているのではと思います。

(このシリーズは今回で終わりです)


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