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森毅先生の教えに学ぶ(7)【衰退局面での学力とは何か?】

京都大学の故・森毅先生の本から現代を考えています。

前回はこちら。

今回はP130から。

解いているつもりが、どこかへ迷いこんだり、まちがって妙なことになってきたりすると、たしかに、なにかの力によって、そこを抜けださねばならない。
 だからぼくは、問題が解けることが学力なのではなくて、問題が解けないときに切り抜けるのが、学力かもしれないと思う。ただ、こちらのほうは、すらすら解けるよりは、迷ったりまちがったりするほうが多いので、いやでも切りぬけることを考えなければならない。

森先生の書かれたものには、時々、このような文章に遭遇します。森先生の学力観の本質なのだろうと理解しています。そして、この考え方こそ、今の時代に求められるものだと思います。

なぜなら、今この国は衰退局面にあると思うからです。

戦後の再出発当時は、追う立場。
ジャパン・アズ・NO1の時は、追われる立場。
そして、中国に抜かれ、分野によっては台湾にも韓国にも後塵を拝する現在の立場。

それぞれで、求められる学力観は変わって当然でしょう。

今は、正解がないか、自分で導き出すことが求められる時代。私がインフルエンサーに全く興味がないのは、この森先生の学力観が内面化しているからだと改めて感じました。

彼らのこれからは、こうなりますという話は、私には与太話にしか聞こえない。正解がない時代だから今が難しいのであって、答えがあるという主張自体が「ほんまかいな?」と思うからでしょう。

なので私は、彼らの言い分は、聞き流す程度で十分だと思っています。なぜなら、彼らだって、明確な答えなんてわかっていないからテキトーなことを言い飛ばしていると思いますし。よしんば、わかっているのであれば、絶対に公になんかしませんよ。絶対的なアドバンテージがあるのはわかりきっているので、書籍と動画配信とかによる収入なんてはした金ですから。とても釣り合いません。本当に答えがわかっていると確信しているのなら、コッソリ実行するのみですよ。

大学受験を通して、あれこれ解けない問題に悪戦苦闘することによって得られた知見は、将来きっと役に立ちます。
問題解決能力が時代の要請であることは、間違いない。その能力を高める意味において、大学受験は悪くない体験です。

ただ、カリスマ先生に頼るような受験勉強は、率直に言ってもったいない。これについては、可能な限り自前主義であればあるほどの後々、血肉になってくることでしょう。

問題が解けないときに、何とか切り抜ける能力は、若いうちから身につけておいて損はありません。正しいことにコミットする時代は終わったと思っています。そもそも衰退国家に「正しい」と言い切れる選択肢はほとんど残っていないのですから。衰退局面は、だから大変であるとも言えるのです。



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