見出し画像

記憶に残るレース(最強馬が激突した第113回と第115回天皇賞・春)

 The 113th & 115th Emperor's Cup


 今年も5月2日(日)に、「天皇賞(春)」が開催されますね。
 1938年から実施されている歴史あるレースです。

 国内GⅠでは最長の3,200mで実施されるこのレース。
 最近では、2,000mの「大阪杯」がGⅠレースに格上げされるなど、距離別のレース体系が整備されているので、距離適性が長めのサラブレッドたちの長距離王決定戦という印象が強くなっています。

 馬たちにとっては良いことなのでしょうが、2,000mや2,400mの中距離でのチャンピオンホースが出走することが少なくなってしまい、競馬ファンにとっては寂しい面もあるのです。

 海外遠征も今ほど盛んでなかった頃は、春に行われる古馬中長距離GⅠは「天皇賞(春)」しかなかったんですよね。
 今回は、そんな時代、最強馬たちが激突していた「天皇賞(春)」を紹介したいと思います。

 レース動画は後半から再生されるように設定していますので、ご了承ください。



■ ■ ■ 1996 ■ ■ ■


 まずは、1996年
 その年の「天皇賞(春)」は2強対決で盛り上がっていました。

 その1頭が1994年の3冠馬で年度代表馬となった

ナリタブライアン!

画像1

 ”シャドーロールの怪物” と呼ばれ、一時は無敵だったナリタブライアンですが、1995年シーズンは故障により思うようなレースができず、惨敗を続けていました。
 ただ、徐々に調子は上がってきて、1996年シーズンには、前哨戦の「阪神大賞典」で復活勝利を挙げたところでした。


 そして、もう1頭が、1995年に菊花賞と有馬記念を勝利し年度代表馬となった

マヤノトップガン!

画像2

 派手な流星を持つ風貌や、菊花賞をレコード勝ちするなど、長距離戦でのスピードも持ち味だったマヤノトップガンですが、前哨戦の「阪神大賞典」では、勝ったナリタブライアンにタイム差なしのアタマ差で負けていました。

 

 この2頭が激突した前哨戦「第44回阪神大賞典」は、JRA史上、屈指の名勝負と言われているレースです。

第44回阪神大賞典 1996年3月9日

 1994年の年度代表馬:ナリタブライアンと、1995年の年度代表馬:マヤノトップガンという2頭のチャンピオンホースの対決は、期待を裏切らない大興奮のレースとなりました。
 残り600mあたりからは一騎打ちの状況になり、ゴールするまで馬体を合わせたままでデッドヒートが繰り広げられたのですから、ホント、手に汗握る一戦だったのです。

 これで2頭の直接対決は通算1勝1敗同士となり、「天皇賞(春)」が決着の舞台になるものと、多くのファンは考えていたのです。


 そこにダークホース的な存在として現れたのが

サクラローレル

画像3

 見た目も、そんな特徴があるわけでなく、脚部に不安もあり、地味な存在だったのですが、徐々に勝ち星を重ね、2頭が対決した「阪神大賞典」の翌日に行われた「中山記念」で、前年の皐月賞馬ジェニュインらを一蹴して優勝し、注目を浴びることになりました。

 その注目を浴びたレースがこちら

第70回中山記念 1996年3月10日

 前日の「阪神大賞典」が凄すぎたのですが、こちらもなかなか凄いレースなんですよね。
 最後に見せたサクラローレルの瞬発力は、スピード自慢のジェニュインも止まってるように見えるぐらいで、この馬も相当強いと思わせるものでした。


 こうして、1996年の「第113回天皇賞(春)」は、2強+1の構図になると考えられたのですが、当日の人気では、2強が抜けていて、サクラローレルはあくまでダークホースだったのです。

 1番人気 ナリタブライアン(1.7倍)
 2番人気 マヤノトップガン(2.8倍)
 3番人気 サクラローレル(14.5倍)


 ですが、最終的にレースを制したのは

 サクラローレル🌸でした!


第113回天皇賞(春) 1996年4月21日

 レースは最終コーナーで、ナリタブライアンマヤノトップガンに並びかけ、再び、競り合いになるかと思われたところでトップガンが失速、そのままナリタブライアンが勝者と思ったところで、外からきたサクラローレルが差し切っていくという、ナリタブライアンファンにとっては、落胆を隠せない結果となりました。

1着 サクラローレル
2着 ナリタブライアン(2 1/2馬身)
3着 ホッカイルソー(1 3/4馬身)
4着 ハギノリアルキング(2馬身)
5着 マヤノトップガン(ハナ)

 でも、着差から見ても、サクラローレルの完勝だったんですよね。
 その後、年末の有馬記念にも勝利して1996年の年度代表馬に選出されるのですから、ローレルも強い馬だったのです。

 1996年の「第113回天皇賞(春)」は、ファンの思うような結果にはなりませんでしたが、3頭の年度代表馬が激突した見ごたえのあるレースだったのです。


+ + + + + +


 その後、ナリタブライアンは引退。
 サクラローレルは休養。
 そして、マヤノトップガンはこの2頭のいない「宝塚記念」を快勝して秋を迎えることになります。


 ナリタブライアンが去った後、また、新たに1頭、強い馬が登場してきます。その馬が

マーベラスサンデー

キャプチャ

 赤いメンコ(覆面)がトレードマークの馬なのですが、武豊騎手を背に、1996年5月の「鴨川特別」から、「桶狭間S」「エプソムC」「札幌記念」「朝日チャレンジC」「京都大賞典」と6連勝中、遅咲きではあったものの、一躍、秋のGⅠでの有力馬として注目されます。


 1996年秋以降、サクラローレルマヤノトップガン、そしてこのマーベラスサンデーの3頭の対決がGⅠを盛り上げてくれたのです。

 やっぱりファンとしては、強い馬が対決していく構図はたまらなく面白いんですよね。

 この3頭の対決は、「天皇賞(秋)」、「有馬記念」、翌年の「天皇賞(春)」と、3つのGⅠで実現したのでした。


第114回天皇賞(秋)1996年10月27日

1着 バブルガムフェロー
2着 マヤノトップガン(1/2)
3着 サクラローレル(クビ)
4着 マーベラスサンデー(アタマ)


第41回有馬記念 1996年12月22日

1着 サクラローレル
2着 マーベラスサンデー(2 1/2)
 ・・・・・
7着 マヤノトップガン(大)



■ ■ ■ 1997 ■ ■ ■


 3強対決といっても、3頭で1~3位とはなかなかならないのが競馬なのですが、順位の上下はあっても、やはり1番強いのはサクラローレルというのがファンの間の評価だったと思います。

 そして、最後の対決となったのが、1997年の「第115回天皇賞(春)」でした。


 有馬記念後、体調に若干の不安を残しながら、ぶっつけ本番で挑むサクラローレルに対し、マヤノトップガンは「阪神大賞典」、マーベラスサンデーは「産経大阪杯」を快勝し、それぞれ、前哨戦を制しての順調な参戦でした。それでも、当日の1番人気はサクラローレルだったのですが、4番人気からは10倍を越えていたので、まさに3強というレースでした。

 1番人気 サクラローレル(2.1倍)
 2番人気 マヤノトップガン(3.7倍)
 3番人気 マーベラスサンデー(4.1倍)

 その3強対決を制したのが

マヤノトップガン🛩!


第115回天皇賞(春) 1997年4月27日

 けっこう衝撃的な勝ち方でした。
 先行することの多かったマヤノトップガンが中団待機。
 最終コーナーを周って、競り合うサクラローレルマーベラスサンデーを大外からマヤノトップガンがまとめて差し切る!という結果となりました。

1着 マヤノトップガン
2着 サクラローレル(1 1/4馬身)
3着 マーベラスサンデー(1/2馬身)
4着 ステージチャンプ(4馬身)
5着 ローゼンカバリ―(1 1/2馬身)

 マヤノトップガンは、レースによってムラがあるので、ローレルを負かすなら堅実なマーベラスサンデーという評判でした。
 なので、サクラローレルマーベラスサンデーの叩き合いも凄かったんですよね。一度は前に出たマーベラスサンデーを差し返すサクラローレルに王者のプライドを感じたんですよね~。
 レースをTVで見ていると、画面の外から、突然、マヤノトップガンが現れた感じで、ほんとに驚いたのを憶えています。
 3分14秒4というタイムは、当時の世界レコードになる驚異的なタイムで、まさに マヤノトップガンが輝いた凄いレースだったと思うのです。


 その後、サクラローレルは海外遠征時に故障し引退。
 また、マヤノトップガンも脚の病気を発症し引退。
 残されたマーベラスサンデーは、宝塚記念を1位、休養明けの有馬記念を2位という成績を残して引退します。


+ + + + + +


 あまり意識したことはなかったのですが、自分はマヤノトップガンが好きだったんだと思います。
 好不調の波があったり、ナリタブライアンサクラローレルみたいな絶対的チャンピオンの風格はなかったですが、1996年から1997年の名勝負を演出していたのは、間違いなくマヤノトップガンだった気がするのです。

 だからこそ、そのマヤノトップガンが参戦した第113回と第115回の天皇賞(春)が、自分にとっての記憶に残るレースになっているのだと思うのです。



🐎