水金地火木土天海

太陽系の惑星と言えば「水金地火木土天海」の8つである。ところで、これは時代と共に変化している。どのように変化して来たのか。
1930年以前:水金地火木土天海
この時代、冥王星はまだ発見されておらず、太陽系の惑星の数は今と同じ8つであった。1922年に渡辺忠吾が書いた「科学新話」という本には、自身が「水金地火木土天海」と唱えて太陽系の惑星を覚えさせられたという回想が載っている。ちなみに海王星が発見されたのは1846年で、当時すでに蘭学書などで西洋の天文学は日本に入っていたので「水金地火木土天」という言葉があってもおかしくなかったのだが、見つからなかった。
1930年から1979年:水金地火木土天海冥
1930年2月18日、アメリカの天文学者トンボーにより海王星の外側に新しい惑星が発見され、英語で冥界の神を意味するPlutoと命名され、日本語では冥王星と呼ばれるようになった。そこで、今までの「水金地火木土天海」の後に「冥」を付け加えた新しい言葉が誕生した。この言葉は1940年代には定着している。現在60歳から110歳くらいまでの世代はこのようにして太陽系の惑星を覚えただろう。
1979年から1999年:水金地火木土天冥海
冥王星の公転軌道は他の惑星と比べて離心率の大きい楕円軌道を取っていることから、近日点付近では海王星の軌道の内側に入ってしまう。1979年に冥王星は海王星の公転軌道の内側に入ったことから、冥王星は海王星より太陽に近い場所にいることになり、新しくこのような言葉が生まれた。ただ、そもそも自然科学というのは時代を超えて普遍的に通用することが要求されるものであり、冥王星が海王星より遠くにある時代の方が圧倒的に長いことを考えると一時的に海王星の内側に入ったことで呼び方を変えるのは却って混乱を招いたのではないか。ただ、一定の定着は見られたようで現在40歳から60歳くらいまでの世代はこの覚え方をしたという人も多いのではないか。
1999年から2006年:水金地火木土天海冥
1999年には冥王星は再び海王星の軌道の外側に出て、覚え方も元に戻った。他方で、この頃には海王星の外側の軌道に冥王星以外にも多くの天体が発見されるようになり、その中には冥王星と同程度かそれより大きな天体も多く、冥王星だけを特別扱いして惑星と考えることに疑問を覚える天文学者も増えてきた。それでも現在30代後半の人の多くはこの覚え方をしているはずである。
2006年以降:水金地火木土天海
そして2006年8月24日、国際天文学連合の決議により、冥王星は惑星ではなくなり準惑星の一つとされた。これにより太陽系の惑星の数は1930年までと同じ8つに戻り、覚え方もその頃のものに戻った。ちなみに当初、太陽系の惑星の数を12個とする案も検討されていた。この案が採択されていた場合、和名の無い惑星が生まれていたが、和名を付けていたのか、それとも片仮名のままだったのか。いずれにせよ、現在30代半ばまでの人はこの覚え方をしているだろう。将来的にプラネット・ナインが発見されるなど、再びこの語呂合わせに惑星が増えることがあるかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?