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caregiver be ambitious

現在は訪問看護の人材育成とマネジメントの仕事をしているのですが

今の仕事上、介護士さんや看護師さんとたくさん関わります。

かく言う自分も元介護士なのですが。

今回は賛否両論はあると思われるけれど、想っていることを書いていきます。

自分は保育・幼稚園教諭の専門学校を卒業しそのまま特養に就職しました。

決して、決して保育園に就職ができなかったわけでなく

学んでいくうちに介護の魅力に気付いていった攻めの姿勢です。

学ぶと言っても、週一の授業のヘルパー2級講座でしたが

介護士になろうと思ったきっかけは実習先で感じた疑問でした。

その疑問に関しては以前noteで書いたので多くは語りません。

が、一言でいうと高齢者の日常生活がひどいものであった。

と言うことです。

疑問に思い、不思議に思い、職員さんに聞いても

「しかたないのよ」と返される。

これでいいのか介護!!!

と熱い気持ちを滾らせて特養に就職した訳です。


正直舐めてました。

介護の世界はそんなに甘くなかったです。

ましてやほぼ知識0で介護の世界に飛び込んだわけですから

言われることすべて正しいような気がして

学びながらも、よかろうと思ってしたことに怒られる。

混乱必然の仕事でした。

介護に「作業感」が否めない。

気づけば実習先の介護士さんと同じように

「しかたない」と言う言葉を発してしまっている自分がいて

一度その言葉を言ってしまうと

免罪符のように次々と出てくる言い訳。

閉塞感の強い「特養」と言う箱の世界の中で

これが介護と勘違いをし、日々業務に追われ

自分があたかも介護を知っているかのように錯覚し

雄弁に介護を語る。

今思うと、とても恥ずかしい思いです。

3年目の時、疲れて、これが介護なんだ、と漠然と思いながら

仕事をこなしていたある日。

看取りの利用者さんの食事介助をしていた時です。

意思の疎通はある程度できるが弱弱しく寝たきりの方に

「ほら、頑張って食べましょう!元気が出ないですよ!」と

声をかける自分と。

「もういらない、食べたくないのよ」と言うおばあちゃん。

時間をかけて8割ほど食べてもらったあとに

当時の看護師さんから誉め言葉をもらいました。

たくさん食べてもらって偉いわね、と。

その違和感が酷かった。

何をほめてもらっているのだ自分は。

何に対してお褒めの言葉をいただいているのだと

おばあちゃんが食べたくないと言っているのにも関わらず

多く食事を食べてもらったことに対して誉められた。

栄養管理は大事であり、ある程度は摂ってもらうことは重要です。

それはわかる。

日頃あまり食事がとれないおばあちゃんに対して食事を摂ってもらえた

それを促す声掛けができた。それをほめられた?

かもしれない。

なのにこの違和感は何だろうか。

それが気になり始めて、一つに気づくと

違和感が他の場面でもたくさん出てくる。

何に違和感を感じているのか。

はっきり違和感の正体がわかったのはレクリエーションと題目した

編み物の時間。

とあるおばあちゃんが言いました。

「私はこれをいつまでやっていれば良いの?」

いつも通り「手先の運動になるんだよ」みたいな

さしあたりのない、おばあちゃんを「納得」させる言葉を

口にする前に気づきました。

笑顔がない。

おばあちゃんに笑顔がない。

自分は今まで表情をちゃん気にしていただろうかと思った瞬間

今までしてきていた介護がフラッシュバックし

気持ち悪くなりました。

そこが自分のターニングポイントで、自分の介護感を見直すきっかけだったのだと思います。

そこから自分が介護士をやめるまでの間十全に自分の満足のいく介護を

高齢者の方に提供できたわけではありません。

悔しい思いをたくさんしました。

職場の環境や、どうしてもタイムスケジュールが発生してしまうこと

他の職員との介護感の違い。

ですがそれでも自分が介護を好きで。

約10年間も介護を続けてこれたのは、外に目を向けられたことが多かったからだと思います。

自分のいた施設の中では決して知ることのできなかった介護自体の考え方。

行っている介護。

知れば知るほど面白く。

知れば知るほど妬ましい。

なんでそんな介護ができるの?

結局、実践できていないのでは?現場を知らないだけなのでは?

醜くも劣等感や実践できない自分に対して苛立ったり。

だけど憧れもあって、それに近づこうとして

自分の職場で少しでも似たようなことができた瞬間。

おばあちゃん、おじいちゃんが心の底から大笑いしているのを見た瞬間。

「自分は介護福祉士だ」と自信をもって言えるようになりました。


介護士の人。

看護師の人にも。

それに関する仕事をする人に知ってほしい。

自分とは違う、介護の仕事を、看護の仕事をしている人を見て

「綺麗事じゃないの?」「介護(看護)をわかってない」

気持ちすっごいわかる。

でもその気持ちがあるってことは、少なくても

自分とは違う介護を知り始めた、外を見始めた瞬間で

自分の介護を振り返ってみる大事な瞬間で

後は受け入れるだけ。

綺麗事?いいじゃないですか!

人のためにありたい、笑顔が見たい。

介護士が綺麗事言えなくなったら、

何を目標に高齢者のQOLの維持・向上してあげれば良いの?

介護がわかってない?

やっちゃダメなことはあるけれど

高齢者を幸せにしたい、生きる喜びを保ってほしいという介護に

正解なんてないのではないでしょうか?

そこにはまた違った可能性のある介護があるだけ。

気付いてほしいし、いろんな介護があるってことを知ってほしい

自分も知ることで成長できた。

言ってみてください。

語ってください。

「自分はこんな介護をしたい!」

「こんな介護士でありたい!」

周りが否定するのなら私が肯定します。話を聞きます。

ですから介護士よ大志を抱け!


元々「小さい」考えな介護士だったけど、

今は「森」のような視野をもっていますと言える人になった気がする

小さいけど森でした。

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