見出し画像

氷がクレーンの代わりになった?

その日の午後、少年がいつものように学校から帰ってくると、団地の敷地に数人の男が立っていた。

男たちは煙草を吸いながら、困った様子で、敷地の片隅に置かれた変圧器を見上げている。団地の住宅に電気を供給する古い変圧器が壊れて、彼らは修理作業のためにそこに呼ばれたようだ。

変圧器は1メートル近い高さの台座の上に据え付けられていて、見上げる少年の目にはまるで何かのモニュメントのように映った。
男たちは、壊れた変圧器を台座から降ろし代わりに新しい変圧器をそこに設置するために、クレーンが到着するのを待っていた。

結局その日クレーンは届かなかった。停電していたので、その夜、少年はオイルランプの灯りを頼りに宿題をしなければならなかった。

翌日も、その翌日もクレーンは届かなかった。当時(第二次世界大戦の前のことだ)、その国ではクレーンはどこにでもある機材ではなく、クレーンを手配するのは簡単なことではなかったのだろう。電気技師たちは、これではいつになったら仕事が終わるか分からないと困り果てていた。

団地には、住人から「帳簿係」と呼ばれる男がいた。その団地では、誰もが誰もを親しみと敬意を込めて、〇〇おじさんのように呼んでいたが、彼のことはただ「帳簿係」だった。
変圧器が壊れて三日目、団地ではこんな噂が流れた。次の日になったら、その「帳簿係」が台座から変圧器を降ろすらしい、と。

翌日、少年は、「簿記係」がいったいどうやってあの重い変圧器を台座から降ろすのかを見届けたくて、最後の授業をサボって走って家に帰った。

少年が家に着くと、ちょうど「それ」が始まるところだった。

団地の裏庭に通じる入り口に氷を満載した荷馬車が止まっていて、作業の男たちが荷台から氷を降ろして、変圧器の傍らにいる「簿記係」のところまで運んでいた。
当時まだ冷蔵庫はなく、一軒一軒の家に馬車で氷を配達していたので、氷を運ぶ荷馬車は当たり前の光景だったのだが...

「簿記係」は、男たちが運んできた氷のブロックを、台座の隣に丁寧に積み上げていく。
そして積み上げた氷が台座と同じ高さに届くと、その氷の上に板を渡した。

今度は男たちがバールを使って、変圧器を煉瓦製の台座から氷で作った台座の上に少しずつ、ほんの少しずつ慎重に移していった。
変圧器の重さで氷の台座は軋み音を立てたが、きっちりと積み上げられていたので崩れ落ちたりはしなかった。
仕上げに「簿記係」は氷の周りを布で覆った。

すぐに溶けた氷が小さな流れとなって地面を濡らし始め、9月のまだ暖かい午後の日差しのせいで流れはみるみる大きくなっていった。

ここまで来ると、そこにいた誰もが、彼がやろうとしたことを理解し、「氷を使うのは良いアイデアだ」と言い出した。
いつの間にか彼のことを「簿記係」ではなく「ミハイルおじさん」と呼んでいる。ミハイルおじさんは新聞を手に折り畳み椅子に腰を下ろし、時々氷を覆った布の隙間から氷が溶けていく様子を確かめた。

翌朝目を覚ました少年が裏庭に飛び出して行くと、氷はさらに溶けて変圧器は既に半分の高さまで降りていた。その日は日曜日だったが、変圧器の周りには作業の男たちが待っていた。

少年は呆気に取られた。
氷が溶けることは誰もが知っている。しかしミハイルおじさん以外の誰も、氷でできた台座の上に変圧器を移動し、そうすれば変圧器を地面に降ろすことができるとは考えつかなかった。
...なぜだろう?

今まで、氷はただの氷で何かを冷やすためのものだった。しかし今は違う。氷はクレーンの代わりになった。なぜ氷が氷以外のことをできるのだろう?

そのとき少年の頭にあるアイデアが閃いた...おそらくどんなものでも、それが元々作られたときの目的と違う、何か別の目的のために使えるのではないか。
そして「発明」という言葉が少年を捉えた

この出来事から六年後、十代半ばで少年は最初の特許を取得します。その後彼は、特許審査の職に就き、他の大勢の発明家たちと出会い、どのように発明が生まれるのか、発明家の頭の中で何が起きているのか、なぜ突然解決策が浮かぶのか、といった「創造のメカニズム」の研究に傾倒していきます。
最初は彼ひとりで、その後数多くの賛同者たちと、生涯をかけて「技術システムの問題解決の理論」の研究と構築に取り組むことになります。

この「ミハイルおじさん」の話は、「少年」...TRIZの創始者として知られるゲンリッヒ・アルトシューラ―(Genrich Altshuller)の著作『And Suddenly the Inventor Appeared』(Lev Shulyak英訳)の冒頭の章で語られている話です。原書の英語から私がストーリーのあらすじを日本語にしたのでちょっと怪しい部分はあるかもしれませんが(戦前のソ連の様子は想像できないですし)、でも大筋は合っていると思います。
TRIZ(発明的問題解決理論)を生み出した人間の個人的エピソードを知ることで、TRIZに興味を持って頂ければ嬉しいです。

※TRIZがどのように生まれたか、日本における導入と停滞、発展の経緯についてはこちらにまとめてあります

※引用・参考: And Suddenly the Inventor Appeared: Triz, the Theory of Inventive Problem Solving(Technical Innovation Ctr; 2版 (1996/5/1))

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?