楽園のドアから

読書は、旅をすることに似ている。
作者の目や手を通して紡がれる、よく考えられた世界を、思考を頼りに巡り歩く。
最初のページをめくってから、奥書をあとに本を閉じるまでの、ひとときの非日常体験─

今、中公文庫刊の北村 薫 著『謎物語 あるいは物語の謎』を読んでいる。
カバーの画に惹かれて手にした一冊。
因みに北村作品との出会いは、昔 劇場で見た牧瀬里穂主演の映画『ターン』を気に入り、その原作に足を伸ばしたのがきっかけ。

なぜこの本の表紙が気になったのかというと、先述の『ターン』で、主人公マキが劇中で刷った版画を思い出したから。

さて。
本書は、作者の “謎” に関してのアレコレのエッセイ。読み始めの方は、内容に入り込めず投げ出そうかと思ったが、読み進めるうちに面白味が出てきた。
そこで、はたと気付いたことが。

自分の気の向くものばかりに触れていると、そこから外れたものへの理解力が落ちて、受容力や探究心が失せていく─

冷静に、怖いと思った。
これ、思考能力の老朽化だよね…
感性の柔軟性が落ちて、頭がどんどん硬くなっていくってことだよね…

趣味嗜好は、気に入りのものに拘って何が悪い?─と思い久しいが、偏り過ぎもヤバいと、今更ながら立ち止まる。

そこで頭を過ぎったのは、南野陽子が昔歌った「楽園のDoor」の一節。

─新しい靴は少し ぎこちなくて
かすかな痛み 引きずるけど
一歩ずつ履き慣らしてくわ
あなたに近くなるために─

居心地のいい温もりに浸るのも悪くはないけれど、溺れるほどの嵌り方はいけません。
ときには、新しい風も取り入れないとね。
そんなことを思う、秋の入り口。

追記:謎物語、読了。本文の黒文字と、挿画や文中の引用部分が青色に色分けされた、きれいな構成。作者の知識の広さや物の見方の一端を疑似体験できて面白かった。自分の知識がもっと豊かなら、より深く楽しめたんだろうな。
時間を置いて読み返した時、今よりも理解を深めることができる自分だったらいいな。

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