古典SFと笑えない現実

読書は、旅をすることに似ている。作者の目や手を通して紡がれる、よく考えられた世界を、思考を頼りに巡り歩く。最初のページをめくってから、奥書をあとに本を閉じるまでの、ひとときの非日常体験─

過日10/6、約2年2か月ぶりに火星と地球が最接近したとか。
それを意識した訳ではないが、先週は偕成社文庫刊・雨沢 泰 訳でウェルズの『宇宙戦争』を読んでいた。
古くはアメリカのラジオドラマでパニックが起こった逸話や、2005年にトム・クルーズ主演でスピルバーグが監督した映画は見聞きしていたけれど、原作小説を読むのは初めてだった。

イギリスの片田舎である日始まった火星人の侵略と、為す術もなく逃げ惑う人類の顛末。
描写される火星人の姿や逃げる人々の生活様式が発表された時代を映していたけれど、古典と流すことができなかったのは…
人類がまさに今、全世界規模で物語末期の火星人のような境遇にあるからだろうか。
生物の頂点といきがる我々は、日々ウィルスの脅威に晒され翻弄されている。

極限状態で恐怖に壊れる副牧師の姿に信仰への皮肉を感じ、
逃亡の最中に主人公と行動を共にした砲兵が語る火星人の侵略後の人類の在り方が、『タイムマシン』に出てきた未来人類のイーロイとモーロックを示唆していて思わぬクロスオーバーに ちょっとにんまりし、
最後に主人公に訪れた救いにほっとして物語は終わりを迎えた。

敵が滅び、急速に繁殖した赤い植物が枯れたように、今 現実世界を悩ませている太陽の光冠を模したウィルスを恐れなくなる日が訪れることを切に願った。

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