「ねば、give up」と先回りしすぎないこと
3月3週目の、2日間の日記。
3月○日
友人に私が足を痛めたと言う話をしたら、「tantan動きすぎなんだって、ちょいと休みなよ。」って言われた。
え、私が?動きすぎ??
一昨年は、子供のお迎え一つ行くにも体調に左右されていたのに。今は、家族となら割とどこでも出かけられるし、近場なら友人との約束もあまり躊躇わなくなった。
それが自信になってきたのは良いのだけど、確かに加速していた部分もあったなと思う。
家をきれいにしておかねば。
人を呼べる状態にしておかねば。
子供をどこかに連れて行かねば。
お友達のママさんと仲良くしなければ。
ねばねばねばネバネバネバnevernever ... let the love go.
所謂守りから待ち、待ちから攻めへの転換期だったのかもしれない。
「ねば」を一つやめて、推しの番組をリアタイで観たり、ネトフリのドラマを観ることにした。「ねば give up」である。とりあえず、続けて遊びそうなおもちゃを片付けることをやめて、ママ友への返信は時間をおくことにした(既に関係が築けてるママさん達とは、LINEの頻度やその長さで、その関係性がどうこうなるものではないと気づいた)。
一方、私は家が散らかってると心が荒んでくるのと、そもそもおもちゃを踏んで危ないので注意が必要。その辺の一線は越えないように、何事もほどほどに。
子供をどこにも連れて行けない時は、ハグしながら推しの番組を一緒に見て、「ほら、タコさんだよ〜」「わ!食べてみたいねぇ〜」なんて言ってると、案外満足度高そうにしてくれるものである(YES、キンプる)。
3月△日
なんの前触れもなく「すごく負だな」と思うものに触れたり、かと思えば、その次の1日は、とっても陽な状況におかれたり。
そんな刺激的な日は、眠るまでに時間がかかる。
これまで自分の中になかった新たな出来事を、スムーズに落とし込めなかったりするので。
負と言うのは、自分にはまったく関係のない出来事なのだけと、昔々の友人(と、知人の間くらいの関係性の人)がゴタゴタの泥沼離婚中なのを、SNSで図らずも目にしてしまった。
夫婦喧嘩は犬も食わないと言うけれど、「あ、なんかすごく負だなぁ」って思って、ありがたくも全然感情移入できない状況なのに、なんでそうなるんだろうとか、不毛なことを考えてしまって、勝手に疲れた。
自分に矛先が向けられていなくても、誰かがすごく怒っている様子を見るのはすごく疲れる。
時には必要な怒りもあるけど、今回のそれは、私が触れたところで何一つ良いものを生み出さない。
そして、次の日は、これまた図らずも陽の中に入ってしまった。昔一緒に仕事をしていた仲間が、たまたま子供関係でも繋がりがあって、超難関校に子供を通わせているママさん達と話す場を用意してくれた。
自分をブラッシュアップする機会だから、ピーンピーンとシナプスが張り巡らせる感覚に陥る。そうすると新たな感情が出てきたり、場合分けだったり、なんだか脳みそが忙しい。
この日の学びは、やはり子育てにおいては先回りしすぎないということだった。
今話題の「高学歴親という病」という本にも書いてあったけれど、言うのは簡単だが結構難しい。子供達にお手伝いさせるなぞとんでもない!という佐藤ママとは、正反対とも言えるマインドである。ただ、子育ては「先回りするかしないか」のマインドだけで成り立つものではないし、いろんな要素が複雑に絡み合って、それぞれにとって評価の軸も異なる。
私は自分の子供達に、レジリエンスを高めて人生楽しんでほしいと思ってる。そういった観点で、やっぱり先回りしすぎないことというのは、今シンプルに実践できる一つの方法なんだと思う。
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