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垂り穂は色づき 敏鎌を待てり

真我なるハートのスイーツパーティーに参加してきたのよ🥰🫶🫶🫶

スイーツパーティーという名目だったけれど、たくさん作りたくて
(神の子に出し惜しみしたくない、と喜びがどんどん湧いてきてしまい、体が勝手に動いて)
予定していたアップルパイ以外にも色々作って持っていったよ。


米粉のアップルパイ、きゅうりの肉巻き南蛮漬け、イチジクとルッコラのクリームチーズ生ハム巻、紅生姜唐揚げ、クリスピーマッシュドポテト、セロリ&ディルのサワーディップ
順ちゃんのクッキー🍪もほんとに優しい味だった!(写真撮れなかった)

ありがたくて、材料を買い込んでる段階で幸せが爆発していた。

買った材料のうち、いくつか作りきれなかったので
チョコレートババロアは25日のお料理ファンクションにて、別途また持っていこうと思います


受け取ってくださったら
わしが受け取る感じ

兄弟への献身(? 嬉しいから、献身という言葉よりご褒美みたいなほうが意味合いとしては近いと思います)は
自分へのご褒美だなと本当に感謝があります。

🙏🙏🙏

ありがたい

ありがたい

💖💖💖


たくさん受け取らせていただいたけど

特記すべきと感じた大きなことは3つ


⭐️のり子さんへの、知覚が癒やされた

私はどこか、これまでのり子さんを【先生】として見ていて
上から言われているような知覚があったんだけれど
みんなで円卓を囲んで
静かに語りながら過ごしていたら

唐突に
のり子さんの姿に
実った稲穂が深くふかくお辞儀をして
地面につくほど頭を垂れながら話をしている
というイメージがかぶった。

なんて謙虚に
本当に humbleに在ってくださっていたのか
ということが
唐突に感じられた。

彼女の在り様が、賛美歌504番にある「敏鎌(とがま)を待つ垂り穂」のような知覚に置き変わって
呆気にとられた。

ああ
こんなに低いところから
本当に低いところから
頭を下げて話してくれていたのか


どんなときも
神の子として見続けてくれていたのかと
言葉にならない思いがいっぱいになった。

彼女を上に見て、上から物を言われているという知覚が、癒やされたようだった。

図が高いのは私の方であった。
尊大なのは私の方であった。
上から評価していたのは、私だった。

彼女の姿が
謙虚な垂り穂、
神の国のために地に落ちて死ぬ麦の姿にしか見えなかった。

(冒頭に貼っている曲は、
そのときに連想された賛美歌です。)

彼女の椅子の足元に侍りたい、という衝動が自然に湧くのを感じて不思議だった。

帰り際にハグをしたときも「ハグしなくても、私とのり子さんはひとつで、離れていない(ので、特に肉体上の別れを惜しまなくていい)」という感覚がありました。


⭐️自分に優しく 本当にやりたいことをやらせてあげたい

真に助けとなるためだけに生きていきたい。という強い祈りが
私の奥の方にどうやら強くあります。

世界人類が本当に本当に平和でありますように
と幼少期は純粋に祈ってて

これは出身地が平和教育に熱心な長崎で、
さらに毎月のように原爆資料館の貸しホールで礼拝していたというのもたぶん大きい。
(逆かな、私の信念がその環境を投影していたわけだから)

戦争や原爆にまつわる絶望に、非常に深く触れていたと思う。

そして、長期入院してたお姉ちゃんや
小児病棟で苦しむ病気の人達や
虐待やいじめの後遺症で苦しむ実母の苦悩を見て
心が痛くて「どうしたら痛くなくなる?」と、一緒に泣いていた。
(というか、肉体的にも相手と同じ箇所が痛くなるくらい痛みに共感していた)

私は苦しむ人のために何ができるだろうと真剣に悩んで試行錯誤していた。

小さな私は、自分の周りの人はもちろん
世界人類が全部しあわせであってほしい
そうでなければ私は本当にはしあわせではないんだと思ってきた。

これは、みっちゃんを見てても「全員うれしいうれしいがいいよね、そうでないと一緒に悲しくなるもんね」と言うから
幼い子供のうちは大抵はそうなのかもしれません。

でも、自分が肉体だと思っているレベルでは、世界人類の平和は達成されることは無理だ。

私がどんなに努力しても
たとえSくんみたいに国連職員になって人道支援業界で働いて、被災地や戦地や難民キャンプに行って世界を救おうとしても
無理なんだ。

自分の努力にかかわらず
こぼれ落ちてしまう命は無数にあり
肉体レベルでの人類全員の救いは、全然現実的ではない。
諦めなきゃいけない。
その「子供っぽい願い」には、どこかで妥協し、折り合いをつけなきゃならない。

それがキャラクターレベルでの自分の努力で達成されるというのはありえないし、それを信じるのは傲慢なことだ。

でも、神の子であるという自覚の復活は
人類救済という馬鹿げた途方もないような「子供っぽい」私の悲願を、霊的な次元で本当に可能にする。

【自分さえ目覚めたら、兄弟全員が救われる】
という
おとぎ話のような都合の良い話を可能にする。

目覚めとは、人類救済の、唯一の現実的な方法なんだと思います。

それが子供の頃からの私の願いを叶える方法なら、私はそれをやる必要があります。

幼い頃に叶わなかったことを大人になってからやってあげる(それを自分に許してあげる)ことで、インナーチャイルドが癒される、というのはよく聞きますが

子供の頃からの私の真の悲願は
世界人類が本当に本当に平和でありますように
しあわせではない人が存在しなくなりますように
という途方もないことです。

私は、世界平和を妥協したくない。
と感じています。
目覚めはそのための手段、という気がしています。

痛みを感じるすべてのハートが癒されてほしい、そうでないと私のしあわせは完璧にはなれない、と感じています。

「私(桃子)の外側に私を取り巻く現実がある」
のではなく
「【私】の内側に(桃子を含む)世界があり、【私】こそが目覚めれば全てが癒される」
というのは
本当に福音だと思います。

「世界人類が平和でありますように」という言葉は「私は神の子であるとわかりますように」という意味だと思っています。

桃子に世界平和の実現は手に負えませんが、
【私】である神の子にはそれが可能です。

何であれ、取り除きたいと思うことは、あなたはそれを支える傾向にあります。何かを取り除こうとするまさにその行為が、それを支えるのです。何かを取り除こうとすることで、あなたは無意識にそれに現実を与えているのです。もしそれを取り除こうとすれば、あなたはそれを現実だと認識しなければなりません。ですから、無意識に現実を付与することが、自分がまさに取り除こうとしているものにエネルギーを与えているのです。(略)
その地点で最も重要なことは、その「私」やその「自分」にできることは何もないという事実を、ゆるし入れるということです。完全にゆるし入れて、完全にその気づきに貫かれることが、最終的に手放すことそのものです。それは拳を開くことそのものであり、もっとも実存的で、原始的な自己感覚を開くことです。  
それが起こるためには、あなたがそれをするどんな方法もないことが、理解されなければなりません。あなたは自分のどん詰まりまで来なければならないのです。あなたは自分のロープの終わりに来なければならないのです。そのとき初めて、自然な明け渡しが起こります。人間としてあなたにできる唯一のことは、すべてのしがみつきが空しいことを見ることです。すべてのしがみつきは、私たちが誰で何であるかの本質を拒否する隠された形なのです。  
あなたが腹レベルでのしがみつきを明け渡すとき、自分がこれから死ぬように感じられるかもしれません。でも〝あなたは〟死にません。分離した自己という幻想が死ぬのです。それでもまだあなたは、自分がこれから死ぬように感じられるかもしれません。あなたが真実のためにすすんで死ぬときのみ、そのしがみつきが本当に真に解放されることになるのです。

あなたの世界の終わり  アジャシャンティ 



本当にやりたいこと
💙恐れからではなく、愛からだけコミュニケーションを取りたい

何をやるときにも
どこで誰といても

愛からだけコミュニケーションをとりたいんだ。

それが一見、周囲からわがままに思われることだとしても
(あるいは、相手を喜ばせることだとしても。相手の反応にかかわらず)

外側の反応に合わせようとしたら
これまでの自我のルールに嵌まり込んでしまう。

誰かの反応に合わせて、嫌われたくないとかよく見られたいとか、People pleasingにより自分の行動を変えるのではなく

誰に対しても
内側の本物の愛から振動する本音で、
全方向に何も気持ちを隠し立てせずに
ハートの中心の愛から震動するように言動したい
という気持ちがある。


キャラクターレベルでの(批判や反対意見や無理解などに見える)相手の言動を
桃子の言動によって変えようとかコントロールしようとしない。

恐れへの防衛から(People pleasingから)、言動しようとしない。

私の言動の全てが
分離を目的にしている誤った(愛以外)の信念⇒思考⇒感情⇒知覚を正当化するためではなく

真に愛からの発信になるようにしたい。
常につねにそうでありたい。

これは訓練が必要だと思います。


一瞬一瞬、愛を選びたい。


家族(特にSくん)に対して
私は本当にやりたいことをやると、堂々と主張出来てこなかった。

いつもどこか、後ろめたく感じていた。

それは自分にその権利がないと思っていたからで
彼という影法師は、私の信念を投影されて演技するだけだから
彼の言動からたまに透かし見える、誤った自分の信念を真に受けてはいけない。

私の内側の信念が変化したら、彼の言動は面白いくらいコロコロ変わるんだから。何度もそれを見てきたんだから。

彼は独立した意志あるキャラクターではなく、【私】自身の信念の一側面にすぎない。

彼の全ての言動は
私が私に言っていることだ。

彼が私に抑圧を与えると知覚しているのだとしたら
【私】が私自身に抑圧を与えるように、彼という俳優に指示しているんだ。彼は脚本に忠実に仕事しているだけである。

キャラクターレベルでの彼には
自分の言動の責任を取れない。
それをやらせているのは【私】だから。

Sくんの演技を変えようと桃子がすることに意味はない。
【私】(映画監督)の内側の信念が癒されて、俳優(Sくん、桃子)へ出す指示を変える以外ない。
(そうでなければ、彼から離れても別の人が同じように演技し振る舞うだろう)


これを忘れずにいたい。

その上で、愛を選びたい


🙏🙏🙏


⭐️兄弟たちへの心の距離が近くなり、信頼が深くなったと感じる

献身滞在でたまに会うことはあったし、これまでも尊敬はあったけれど

こんなにも奥の方から
彼らの存在そのものに感謝がとめどなくわき出してきたり
顔を見るだけで胸が震えて感謝と尊敬で涙が出たり
「大好き!」とめろめろになる感覚はなかった。

れいさんが帰ってきたのも本当に「ありがとうありがとう」で感謝感謝感謝だったし
順子の顔(特に目)を見るたびに理由もわからず感動で胸が震えて泣いてしまうし
康介のPresenceに強い信頼と安心感を感じるし
たかちゃんには帰り際に思わずほっぺにチューしてしまったくらい距離がなかった。

Zoomの兄弟たちとも、生身ではなくても離れてないと感じる。

(ケンタさんも何度も心に浮かび、離れてない、と感じていた)

兄弟たちとの関係に、私の心の癒しが反映されているような気がします🫶✨🙏🙏🙏

こうやって、愛と信頼が、全方向に拡大して、私とあなたの境目が本当になくなっていくのだろうか…


ありがとう

🫶🫶🫶💙🤍💙🤍😍😍😍🫶✨✨❤️‍🔥❤️‍🔥❤️‍🔥


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