日本の食糧援助絡みのいろんな話(5)
「日本の食糧援助絡みのいろんな話(4)」で」
日本の食糧援助の入札についてお話ししました。
今回は、
お米が被援助国に届いてからのお話です。
アンゴラの内戦の末期か終戦直後のことだったと
記憶しています。
首都ルアンダの港からほど近い場所にある
KR米を毎年扱っているという
倉庫を訪れ、
オーナーから聞き取りを行ったときのことについて綴ります。
内戦の終戦は2002年ですので、
その前後ということになりますが、
内戦の末期か終戦直後かが分からないということに
違和感を覚える方もいるでしょう。
アンゴラ内戦は
反政府勢力のトップに君臨していた
ジョナス・サヴィンビが暗殺されたことで
終戦を迎えましたが、
そもそもが冷戦下の代理戦争でしたから、
ドイツの壁が崩壊して既に久しいその頃、
米国政府も反政府勢力を後押しする
理由も気力も失せて
この国での原油採掘事業の拡大などに
舵を切っており、
終戦に向けての準備は
数年前から着々と進んでいたのです。
そんなこんなで
既に最初に訪れた頃のゴーストタウン状態とは
打って変わって活気が戻っていた
ルアンダ市内ですが、
そうは言っても、
インフラ再建の大々的な事業等が
まだ始まっていない時期でしたから、
街中でも道路はボコボコ、
停電は当たり前、
物資の不足により個人事業主が
自らの事業所のリフォーム等を行うにも
大きな困難が伴う時代でした。
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そんな中、倉庫事業者に
現状や困っていることなどについての
聞き取りを行うと、
やはり物資の不足で倉庫の修理もままならないこと、
通信が不安定な中、いわゆる「報連相」が不十分で
何事も予定通りにはいかないこと、
とくにアンゴラ外務省の担当者の能力が不十分で
タイムリーな対応ができないことなどを聞かされました。
しかし一番困っていることは
そんなことではなく、
現金輸送にお金が掛かって
やっていけないというのです。
平和で安定した日本からやってきた我々日本人には
すぐには意味が分からず、
よく聞いてみると、
大量のお米が日本から到着して、
入荷を報せると、各地の業者が
一斉にトラックで買い付けにやってくるのですが、
なんと、それらの業者は
トラックに現金を積んでやってきて、
その現金を積み下ろして、
代わりにお米を積んで去っていくのだそうで、
そのような現金を
ボロボロになった倉庫の片隅に
置いておくわけにいく筈もなく、
ひどい時には一日に何度も現金輸送車を
呼ばなくてはならないのだそうで、
その料金がまた、ひどく高いのだそうなのです!
というのも、
いわゆる現金輸送用の装甲車に加え、
その前と後ろにこのような ↓ 「護衛」のトラックが付くのです。
「そういえばルアンダの街中に
そういうの、よく走ってるね~!」
と、ようやくここで日本人は理解します...。>苦笑
長期に渡る内戦で、現地通貨は価値をどんどん落とし、
終戦の直前であれ直後であれ、
まだデノミ&新札発行など行えない時代のことですから、
「現地通貨は嵩がある」のも、
「上記の体制での現金輸送は料金が高い」のも
しみじみと納得する他ありませんでした。
ま、それでも「お金の嵩が大変なことになったことで有名な
ジンバブエ ↓ ほどではなかったようなんですけどね…。笑
(ちなみにジンバブエは今や「人民元圏」です…。)
💲💴💵💶💷💲
そんなこんなで、
お米の種類の好みから
困ることの内容まで
日本の「当たり前」が通用しない世界で
食糧援助(KR)は実施されているのです。
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明日は、原則ここまで書いたことを踏まえた
まとめを記せればと考えていますが、
まずは
ここまでお読み頂き、
誠にありがとうございました!
※ 「大事な書類とかなくさないでニャン!」、否、
「にゃんでだよ ねこ」はこたつぶとんさんの作品です。