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アンゴラ&モザンビーク

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1990年代後半のアンゴラ共和国やモザンビーク共和国の様子や現地での経験、その後の変貌などをマガジンにまとめていきます。 ヘッダー画像は南部ウイラ州とナミベ州を結ぶいろは坂、否、… もっと読む
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#思い出

モザンビークでの出来事いろいろ(1)

トップ画像はモザンビークの首都マプトの ベトナム料理屋さんです。 当時(2001年か2002年頃。 モ国の終戦は1992年なので戦後10年前後)は 何度か訪れましたが、 その後は行っておらず、 今はもう存在すらしていないかもしれません。 目隠し画像のお二方に同行して マプト州の北隣の ガザ州に行きました。 ガザ州の位置 ↓ ガザ州のショクエ (Chókwè) 市と 州都シャイシャイ (Xai-Xai) 市は 2000年には大洪水により 大きな被害を受けた地域で、

モザンビークでの出来事いろいろ(2)- 役人を𠮟りつけてしまった話

トップ画像は モザンビークのガザ州で 最も付き合いが長かったお役所です。 その名も DIRECÇÃO PROVINCIAL DAS OBRAS PÚBLICAS, HABITAÇÃO E RECURSOS HÍDRICOS (DPOPHRH) (州公共事業住宅水資源局) んっ?看板と少し違わなくないかと? ピンポ~ン! 看板が古いままなのです。w というのも、 州公共事業住宅水資源局の 最初の2語、つまり 「DIRECÇÃO PROVINCIAL」(略は「DP

モザンビークでの出来事いろいろ(2')- 役人を𠮟りつけてしまった話(完)

こちら ↓ の記事の続きです。 このとき泊まっていたのは、 海辺にあるこちらです。 (全貌はトップ画像) ↓ 「シャイシャイ (Xai-Xai)」って、日本人が読むと やっぱり「ザイザイ」になってしまうのね…。( *´艸`) ↑ ここの部屋もまた、 広めの2~3室を除いてはひどいものでした。 (それが証拠にどこのサイトにも部屋の写真は掲載されていません!笑) それでも バスルームの壁が隣と筒抜けだったりはしないし(笑) 食事などもまあまあなので、 町中ホテルよりは大

初めてのアンゴラへの海外出張

時は1997年2月、 当時のアフリカ出張はヨーロッパ回りが主流で、 往路はパリ経由、復路はロンドン経由でした。 私にとっては生まれて初めてのパリでは、 当時まだ在京大使館のなかったアンゴラ共和国の ビザを取るために2泊したのと、 メンバーに同じくパリは初めてという方がいらしたので、 経験豊富な一名があちこち案内して下さいました。 トップ画像はその時のものです。 楽しい2日間が終わると、 いざ、アンゴラへ向けて出発です。 🛫🛫🛫 当時はまだネットで情報が得られるような

ロビト市とロビト港の思い出(2)

こちらの記事の続きです。↓ 上の記事でも記したとおり、 優秀なロビト港とのお付き合いは 思ったほど永くは続きませんでした。 (1)で行っていた調査は 「開発調査」というもので、 この段階で大々的な工事を行うようなことはありません。 あくまでも将来実施されるプロジェクトの妥当性を証明し得る 報告書を策定することが目的なのです。 この「開発調査」が完了し、 日本がロビト港の復旧工事を行うことになり、 そのための「基本設計」のために 渡航したときのことです。 首都ルアンダに