いつか思い出すためにやってるみたいなところある

 40、50代くらいの先輩たちが自分たちの若い頃を思い出して、「バカやってたなあ〜」みたいに少し笑いながら当日を懐かしんでいる瞬間を見るのが好きで、20年後とかに自分の10代や20代をそういう風に回想できるかどうかを基準に生きてるみたいなところがある。

 22歳の今、はっきりいって僕は成功していない。大学もでていない。就職もしていない。俳優として活動するもアルバイトはやめられない。これといった代表作もない。ありがたいことに繋がったご縁で、時にはアンサンブルやアンダーも含めてお仕事をいただいている。
 映画館やテレビで見るような、いわゆる「俳優」と聞いて思い浮かべる人達を頂点とするなら、僕は地の底。掃いて捨てるほどいる俳優の卵のひとつ。

 僕の思考はネガティブだけど芯の部分は実はポジティブなので(実際、まあ自分ならいつか売れるでしょと思い込んでるフシがあるくらい)、そんな現状にあんまり落ち込みすぎるようなことはないけれど、それでも思い描いていた22歳の自分と現実とのギャップに愕然とする瞬間はある。そんな時に、目の前の物事に前向きに取り組むための僕の考え方。それは、「いつか売れた時の下積み時代の苦労話になるから頑張ろー!」である。

 思うような仕事ができなかったり、過小評価されてると感じたり、チャンスが回ってこなかったり。そんなことだらけの20代前半のことは、売れた時にゲストで行ったしゃべくり007で「若い頃はうまくいかなかったんですよ、オーディションとか落ちまくって〜」って喋って、まとめサイトとかで「あの川﨑志馬でもオーディションに落ち続けた過去!」とか書いてもらって浄化すればいいのだ。

 ただ、この考え方には少し取り扱いが難しいところがある。おじさんになったときに20代当時を“心の底から”懐かしんで思い出すためには、苦労とか将来とかを“本当に”度外視していないといけないという点だ。目の前の事に「いつか思い出して美談にするため」というフィルターを通してしまった時点で、僕はその物事に対して一歩引いた目線に立ってしまう。ともすればそれは、パフォーマンスの妥協にも繋がりかねない。いつか思い出して「バカだったけど、必死にやったな」と気持ちよくノスタルジーに浸れるのは、きっと将来の自分がどう思うかとかどうでもいいからとにかく今目の前のことに必死で全力で挑んだ経験だ。「これ、思い出すためにやってたな」とおじさんの自分が気がついてしまったら意味がないのだ。

 「いつか思い出した時に笑えること」と、「いつか思い出すためにやったこと」が両立し難いのがややこしい。だからこの考え方は、今を乗り切るためのやる気のトリガーくらいに思っていたほうがいいのかもしれない。今を生きているのに、未来の自分が生活の軸になってはいけない。
 それと、これは未来の自分が成功している前提に立たないと成立しない考え方なので、そこに自信がない方にはおすすめしない。(とは言っても僕も、電車で大きな声で1人で喋ってるおじさんやお世辞にも綺麗とは言えない服を着て毎日街を徘徊しているおじいさんを見て「自分の未来の姿かもしれない」とゾッとする瞬間はなんどもあるんだけど。)

 このnoteも、いつか思い出すんだろうか。10年後、20年後に読み返した時にちゃんと22歳の自分と出会えるように、その時の等身大の、飾らない言葉で書いていこうと今決めた。うん、きっと、恥ずかしくて死にたくなるだろうな。


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東京都在住の22歳。俳優。エムキチビートラボメンバー。 CLipCLover所属。
「川﨑志馬」と書いて「かわさきしま」と読みます。

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