SMと主従

数年前に界隈に戻ってきた時、以前より主従関係を求めている人が圧倒的に多くなっていました。

主と従者。

それぞれ求めているものは、主によっても従者によっても異なります。共通しているのは、従者は主に従属していること。どのような従属なのか、どこまでが従属なのか、は個人によって求めるところが違います。

元々、前回書いたように、従来のSMは主従を含んでいました。しかし、現代の主従は、生活そのものに及んでいる場合も多いです。そのような場合には、主従は必ずしもSMを伴いませんが、ほとんどの主はサディストであるので、プレイは必然的に行われます。ただ、SMをする人たち(俗に、SMマーと呼ばれますが)と主従の中でプレイする人たちとは、その概念が異なるように思えます。以下は、典型的なケースだと思いますが、個々のペアによって、それぞれ混じり合っていて、どちらかの比重が大きかったりします。

SMマーは、あくまでサディストとマゾヒストのペアであるため、関係性においては、プレイが主体になり、マゾヒストはプレイそのものに満足します。サディストは苦痛を与えることを好み、マゾヒストは苦痛を受けることを好みます。プレイ中は、主従である関係性をもちますが、プレイを離れると、必ずしも主従であるとは限りません。マゾヒストは苦痛であっても好き嫌いがあり、はっきりしたNGもあります。存在や意思として、サディストとマゾヒストは独立したものです。

一方、主従は、主と従者のペアであるため、従属関係が主体になります。従って、主従の中でのプレイは、主がやりたいことをやり、従者は主が楽しんだり、喜んだりすることに満足を覚える、ということが多いようです。そのため、従者は、志向するプレイをあまりもたないように思えます。主の好きなプレイが従者の好きなプレイになりがちです。

主従でも、厳格な主従から恋愛主従やイチャラブ主従まで、様々な関係性があります。最も厳格な場合、従者は奴隷となり、主の言いなりになります。従って、NGも持たず、最初は嫌なことではあっても、次第に訓練(調教と呼ばれますが)させられ、好きになっていくことが要求されると同時に、それが奴隷の喜びにもなります。一方、恋愛主従では、従者の意志はかなり尊重され、普段の生活でも、恋人同士の様子をもちますが、ノーマルな恋人同士と違うのは、あくまで関係性は主従であるので、ほぼ全てのことを主が決めることが多いです。

もちろん、先にも書いたように、個々のペアによって関係性は異なりますし、ルールも異なります。上で書いたのは、ある一例と思ってください。主従関係でありながら、従者が極端なマゾヒストであることもあります。

従者の特徴的なことの一つは、一生に、一人の主しか持たないと決めている人がいることです。そういう従者にとっては、特定の主に使えることが喜びであって、それ以外の主は必要ないということのようです。


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