最後の挨拶になるかもしれないその言葉

もう5年くらい前の金曜の夜
東京から横浜へ、京浜東北線での帰路。
僕は本を読みながら
うつらうつら、していた。
蒲田駅から乗車したのだろうか、
気が付くと僕の真向いの席に
3人のご高齢の御仁が座っていらした。

80を超えていると思われる
男性御三方。
背筋の伸びた学者風の方、
少し猫背の商売人風の方、
落ち着いた、笑顔の優しい方。
三人三様。

少ししわがれた声で
ぼそぼそっと話されている。
誰々は変わってなかったね、とか
彼、彼女は相変わらずだね、など
その内容からして、
どうも同窓会帰りのよう。
きっと数十名が座敷か、
立食で集い、楽しく歓談された。
遠い日の思い出を肴に
少し飲まれた方もいたのでは。
でも、そのお三人は
全くのシラフのよう、
どこか、きりっとしていた。

電車が川崎駅に
到着しかけたときだった。
優しい笑顔の御仁が
「では、私はここで」と、
座席から腰をゆっくりと起こした。

すると学者風の方が言った
「どうかお達者で」

笑顔の紳士は返した
「あなたもお元気で」
そして、もうお一方にも
「どうか、あなたも」

その御仁は一人、ホームにて
発車し出した電車を見送り、
二人に手を振っていた。

僕はこの場面に
深い感慨を覚え、
切なさがこみ上げてきた。

大変失礼ながら
この電車の先程のやりとりが
この御三方が交わした
最後の会話になるかもしれない。
御三方それぞれの記憶に残る
最後の肉声、表情になるかもしれない。

勿論、こうしたことは、
日々の営みの中にもある。
人は常に明日をも知れぬ命だから。

だけど、この白髪の御三方の
佇まいが僕の記憶から離れない。
そして、川崎駅でのあの会話が。
「どうかお達者で」
「あなたもお元気で」
「どうか、あなたも」

感染拡大で同窓会開催も
ままならない。
勿論、リモート社会となり、
オンラインで画面越しに
表情も声も確認できる。
だけど、実際に会うのとは
やはり、確かに違う。

時間は戻らない。戻せない。
だからこそ、愛おしい。

もう会えないかもしれない。

会えるときを大切にしたい。
会える人に心を尽くしたい。
「これが最後かもしれない」を
心に蘇らせながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?