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心持ちで世界は変わる

生きたいように生きる決断をしたら余生になった

迷うことなく踊って生きる道を選択し続けていることに気づいた。もうすでに20年も教えてきて、舞踊団のアシスタントもしていて、オリンピック関連の行事への公演に参加させてもらう予定もあっても迷いはなかった。周りから見たら何を今さらだと思うだろう。でもなぜか、このタイミングでの決断が自分にとってはベストだったと確信がある。それは今でも変わらない。

圧倒的な自分選択の時間の量に感動したのを覚えている。予定が入って無いのがこんなにも幸せで自由だなんて思ってもみなかった。しかも予定は全部自分の意思で決められるのだ。忙しい日も暇な日も自分が決めているというだけでこんなにも満ち足りた気持ちになることを初めて知った。人は満ち足りると許容範囲が広がる。すべてを愛して感謝するばかりになる。

現役引退気分は心が穏やかになる

クルマの運転が変わった。それまでは急ブレーキ、急発進は常で、渋滞に会おうものなら発狂しそうになっていた。教師が遅刻など許されないと思っていたから心に余裕がまったく無かったし、失礼な運転ばかりしていた。今は良い気候だなーと青空に感動したり、道を気前よく譲ったりするようになった。

時間に対する度量の狭さもなくなった。それまでは突発的な用事を頼まれると時間を盗られたと殺気だっていたのが、なんとも思わない。穏やかに受け答えするようになった。毎日自分自身の時間がいかに少なかったか、どれだけ追い詰めていたのかが分かった。自分に対して深く詫びる気持ちがある。

予定は未定だと出会いが生まれる

予定帳は常に来月は真っ白なのに、その月の終わりに見直すと真っ黒に埋まる。そんな不思議な現象がもう5年続いている。何もない日はワクワクしてくる。さぁ何しようかと行動したくなる。五感や感情で味わいながら生きることに特化している。気分は余生。ご隠居が文化を育み相談役を担っていたのがうなづける。

実際のところは教えてるし、働いている。パフォーマーとしてもダンサーとしてもスタッフとしても新たな経験もさせてもらってる。充実していて、気持ちは余生。一個人として請け負っているのが大きい。歯車の一つでなく、きちんと尊重してもらっている幸せを噛み締めている。

人生のどの辺なのかは振り返ってみないとわからない

この5年は余生気分で生きてきた。人生が終わる間際の残りのご褒美時間なのかなと思っていたけど、インターバルの可能性もある。嵐の前の静けさかもしれない。この5年はひたすら断捨離と決断の連続だった。完全な俯瞰はムリなので人生の道程どの辺かは未知数。とりあえず…自然体で一瞬一瞬を誠実に存在していけたらと思っている。

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