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父の四十九日が無事に終わりました

やっと四十九日

父の四十九日が無事に終わりました。

まだ四十九日しか経っていないのかという思いです。
毎日のやることが多くて法事に対して何の気負いも無い自分が意外でした。

毎日父に会っているような仕事なので、いないのが寂しいという感情もありません。

ただ本人は生きたかっただろうなぁ。

私の中の父は私が生きている限り生き続けるけど、本人はそんなことじゃ納得しない人だってわかってるんですよね。

いや、仕方ないよね、こればっかりはね、って父に話しています。

法要と供養

これからの時代、檀家はなかなか厄介です。

弟が喪主ですが普段は東京住まい。私はお参りはしますが、自分は自然に土に還るつもりです。

まぁなるようにしかならないでしょう。

生き方と老後

父は五人兄弟の四番目。
一番元気で現役だったのに、誰よりも早く逝きました。

人生ってそんなものだと思います。

若くて惜しまれて、誰もに憶えていてもらえることはある意味羨ましいと思う人もいるでしょう。

死にたくないけど周りに知り合いがいなくなっていくのは寂しいと思う人もいます。

伯父は妻を亡くし一人暮らし。趣味もなく、話す相手がいないので認知症になる不安な老後を嘆いていました。

伯父は対外的にはずっと優秀で悠々自適な人生を送っているんですけどね。

優秀とか成功って私はあまり価値を見出せないのです。

伯父の嘆きを聞いて思ったのは夢中になるものがあれば少しは変わるのだろうかということ。

少なくとも自分は孤独や不安を表現活動に利用したい、創りたいと思い始めそうです。

喋る人がいない…どうなんでしょう。

あまり人と話さないで生きている方なので何とも言えないんです。自問自答の方が多いですね。

別に喋る相手がいる必要はないけど、出かける必要は年を経るほどあるかもしれません。

読書が出来なくなってくるからです。

読書って体や視力が衰えても出来なくなるものなんですよね。

路上演劇祭の会議で感じたこと

夕方からは路上演劇祭in浜松2023の会議でした。

端的に言えば表現活動に関する話し合いというだけで幸せです。

改めて表現活動がある幸せをしみじみ感じました。

内容はプログラム組みとかプロジェクト進行の取り決めとか濃密でそれどころじゃないものでしたが。

地元で商売をし、家族や町の歴史を知り始めたこの時期に浜松の路上で表現出来る機会を得たことに偶然の必然性を感じています。

綺麗に楽しく踊っていたら出来なかった表現、感じることのなかった感情を味わえそうでワクワクしています。

それが今の偽らざる気持ちです。
 



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