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〈往復書簡〉私から、波を起こす 第2便 「あなたの中にきっと答えはある」

第2便 あなたの中にきっと答えはある

2024年2月10日

今枝さん、こんにちは。お便り、どうもありがとうございます。
だれかから手紙をいただくというのは、大変嬉しいことですね。
これから一年間、今枝さんからどのような言葉が聞けるのか、楽しみに待ちたいと思います。また、私からの言葉も、あなたにとってよき贈り物となるよう願います。

円頓寺商店街で行われたイベント「本のさんぽみち」でお会いしてから、まだ2か月しか経っていないのだなと思うと驚きます。日々詩書肆室は昨年が初めての出店でした。いつも客として参加していたイベントに出店側として立ったとき、よりお客様のよい本を求める「切望」のようなものが感じられたことが新鮮でした。それだけ、地元において信頼されているイベントなのでしょう。
あのとき今枝さんの目にとまったのがビールだったというのは面白いなと思います。

あのビールは、実は日々詩書肆室がその一員として参加している「三重県まちの古本屋さん協会」の方がごちそうしてくださったビールだったのです。
なので、あのときの「三重県ブース」にいた方は大半ビールを飲みながら店番をしていたことになります。きっとみなさんは、お客様の手前目立たぬようにこっそりお酒を楽しまれていたのでしょうね。無邪気に販売台にビールを置きっぱなしにしていたのは、私くらいのものだったのかも知れません。
きっと私がひとりで出店していたのであれば、店番中にビールを買うなんて思いつきもしなかったでしょう。とはいえ、ビールをいただけるのであれば、断る理由は何もありません。ビールという思いがけぬ楽しみを受容した結果、今枝さんに注目していただくきっかけにもなり、二重にラッキーな出来事だったのだな、と今になって思います。

さて、前回のお便りで今枝さんが投げかけてくださった問いは、「本を作る上での思想が、自分はどうも弱いのではないか」ということでした。
情熱を抱いて本づくりに取り組み、SLOW WAVESをつくる上で表現したい思いももちろんしっかり持っている。しかし、それは読む人=他者にとって何か重要な意味を持つことなのだろうか。自分のつくった本を、自信を持って人々へ向けて送り出すために必要なものは何なのか。

私は今枝さんのお便りを読んで、「オズの魔法使い」でドロシーとともに旅をする三人の仲間のことを思い浮かべました。

「脳みそ」を求めるかかしは、土壇場で知恵を振り絞って、一行の危機を助けます。
「心」を求めるブリキのきこりは、仲間のことを常に心配し、ときには涙を流します。
「勇気」を求めるライオンは、いざというときには真っ先に我が身を投げ出し、仲間を守ります。
それぞれがもっとも強く持っている特性を、彼ら自身は「持っていない」と感じて悩んでいるのです。

身も蓋もないようなことを申し上げますが、問いそのものの中に、今枝さんの探し求める答えは内包されているのではないでしょうか。

そのような問いを持つということ自体が一個の思想であり、社会へのまなざしに他ならないと私は考えるのです。
ご自身がマジョリティの立場に立っているという認識は、マジョリティの世界に埋没しきっている人には得ることができません。あなたの目には苦しんでいる人たちの存在がはっきり映っている。だからこそ、彼らの味わった苦しみを免れてきた自分に「静かな暴力」性を感じてしまうのではないかと思うのです。

私も同じように、免れて在るうしろめたさのようなものを感じることはよくあります。しかし、極端な話ですが、私は苦しみやふしあわせといったものは、どんな人もなるべく味わわない方がよいのではないかと思います。誰が好き好んで貧困になったり病気になったりするでしょうか。私自身は重病になったことでその後の人生が変わったとは思いますが、病気になってよかったと思ったことは一度もありません。あんな経験は、世の中の誰もしなくてよいことです。

あなたは世の中に立脚して、違う立場の人にまなざしを送ることができている。そのことに、単純な言葉でわけられたマジョリティとかマイノリティとかいった立場が関係するとは思いません。今枝さん自身の地平から、対岸にいる人たちのことを考え続けること、そして彼らのためにできることを実践し続けることが、今枝さんが世の人に伝えたい思想を形づくっていくのではないでしょうか。
そして、自分とは違う歴史を背負ってきた人たちのことを本気で知りたいと思ったときに、やはり本というものが強い味方になると思うのです。

自分は、世の中というものがどういうものなのかを知ることを求めて本を読んでいたのだなと、ここまで書いてきて気づきました。
私はどうにも周囲の人に馴染むことができず、孤独な少女時代を送ってきました。他の人たちがなぜこの場面で笑うのか、何に怒っているのか、いまいち理解できない。なんだか自分だけ映画のスクリーンの外側にいるようで、居心地が悪くて仕方がない。そんなときは、本の世界があることに安心しました。
文章というものは、ある人の認識が捉えた世界の在り方を、言葉によって表現したものです。それは研究され分析されたものかも知れませんし、感性によって捉えられ芸術的な方法で表現されたものかも知れません。いずれにせよ、文章の背後には書いた人の見た世界が存在する。その世界が見たい。他の人たちが見て、経験してきた世界を理解したい。
そのような切望が、いままでの自分の道のりの背景にあるような気がします。

世界を見せてくれる本は、なにも学術書や堅いノンフィクションだけではありません。小説は著者の体験や想像を文章という形で構成したものでしょうし、詩は詩人の目が捉えた世界の姿です。どのような形であれ、世界の姿がその中に映し出されている作品はありますし、逆に言えばたいそうなことを言っているようで実は何も言っていないような本もあるのです。
SLOW WAVESを拝読したときに、書き手の一人一人が体験してきた人生と、そこから導かれたものの見方のようなものがよく表れていると感じました。それは、大きな社会問題などと関係がなくても、自分の体験することのできない世界を見せてくれるものですし、どうやって生きていったらよいかわからない人にとっての安らぎとなり得るものだと思います。私はそのような、違いのある人たちが経験してきたそれぞれの世界が立ちあがってくるような本、それによって、狭い枠の中で自信を失っている人たちを勇気づけられるような本を届けていきたいと思っています。

前のお便りで、今枝さんはSLOW WAVESに込めた思いとして、「海辺に立ち、波の音を聞いている時のように、穏やかな気持ちを誰もが決して忘れることのないようにしたい」とおっしゃっていましたね。
その言葉を読んで、波打ち際に立つことと本を読むことは、確かに似ていると思いました。それらは、自らを取り囲む雑音まみれの環境から一時的に切り離され、自分の心にじっと耳を澄ます時間であり、対岸にある未知の世界を意識する時間でもあります。

海という人智を超えたものとじっと向き合い、打ち寄せる波の音にただひたすら耳を傾ける。ある人々からしたら、無駄な時間にしか見えないかもしれません。しかし、自分の属する世界とかけ離れたものにただ身を任せる時間を持つことは、人が長い人生を生きていくうえで、必ず力になる場面があるはずです。
波の音のように、遠くから聞こえてくる声、注意深く耳を澄ますことで聞こえてくる声。そんな声を乗せてくれる本を、私は望んでいるのだと、いま感じています。

今回は私が波打ち際で拾ってきたものの話ばかりしてしまいました。
私はそうやって「拾ってくる」ことが得意なのだと思います。
以前お会いしたときに、今枝さんは、海は「いれもの」なのだとおっしゃっていました。
今枝さんは海に——そして、それに類する本に、いままでどんなものをいれてきたのでしょう?そんなお話も、また聞かせていただけると嬉しいです。


▼著者
村田奈穂(むらた・なほ)

日々詩書肆室 室長。1986年、三重県久居市(現・津市)生まれ。ブックハウスひびうた管理者を経て現職。共著書に『存在している 書肆室編』『映画と文学が好き!人情編』(日々詩編集室)。

次回、今枝による第3便は、3月中旬に公開予定。
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初回アップ日:2024年2月10日(土)
責任編集:今枝孝之

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