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〈往復書簡〉私から、波を起こす 第4便「わたしを見つめかえす『鏡』」

第4便「わたしを見つめかえす『鏡』」

2024年4月8日

今枝孝之さま

こんにちは。春先はオセロをひっくり返すような気候の変化でしたね。
嵐が過ぎ去ったと思ったら、一気に春がやってきて、桜も満開になったのに気づかないまま散り始めました。
この書簡が発表されるころには、すでに初夏の気配も漂っているかもしれませんね。それほどにも、季節の進み方ははやくなっているような気がします。
 

前回のお便り、大変興味深く拝読しました。
SLOW WAVESに出会った時から、今枝さんと海との物語を聞きたいと思っていたのです。
海の見える家で、毎日水平線を眺めながら育ってこられたのですね。遠くに光る、動きのない海面を見ながら、やるかたない孤独やさみしさを、その中に漂わせてきた今枝少年の姿が目に浮かびます。

身近にある海が、今枝さんの心をとらえ、やさしいもの、かわいらしいものとして常に対話できる存在であったことは、うらやましいことだと思います。
わたしたちの多くはほかの人間との交流を求めずにはいられない。けれども、他者と付き合うということには、ときにわかり合えなさや埋めがたい違いに苦しみ、悩むという経験がつきものです。

そういうときに、なにかひとつでも人間でない友がいるといいな、と私は思います。傷つけあわなくてもよい存在。むしろ自分の傷ついた心を、何も言わずただ容認してくれる存在。気を張らず、萎縮せず、よそいきではない自分の姿をそのまま預けられる存在。
今枝さんにとって、海がそのような友であったのではないかと、私は想像しています。

物言わぬ友は、ただ苦しみを癒してくれるだけの存在ではありません。彼らは語らぬうちに、何を大切にして生きるか、ということを、人にさし示してくれているように思います。
今枝さんの世界に向けられたまなざし、遠くにあるものへのあこがれ、対岸にある存在への思いやりは、幼少期から海と対話する中で形作られてきたものではないかしら。
私はあなたのことを何も知らないけれど、お話をおうかがいしていると、きっとそうなのではないかと勝手にイメージしてしまいます。

そしておっしゃるように、私にとっては本が友だったのでしょう。
その話の前に、私の海の思い出を聞いてくれますか? 今枝さんのお話を聞いていると、自分の中にも海の光景がよみがえってきました。
 

私の中の海の光景には、いつも父の姿があります。
海が大好きで、ヨット乗りでもあった父が海に連れて行くのは、家族の中でいつも私だけでした。
おそらく彼と喧嘩せずに一緒に過ごすことができるのが、家族で私しかいなかったからなのでしょう。

元旦のまだ夜が明けない時間に、父の車に乗って私たちは海を目指します。車の中では、いつもビートルズが流れていました。二人とも一言も口をききません。思い返すと、父とまともに言葉を交わした記憶はほとんどありません。津の海岸に着くと、わたしたちは車を降り、黙々と歩き出します。
私は少し父から離れたところに立って、日が昇るはずの方角をじっと睨んでいます。

ほんとうは初日の出なんて、全然見たくないのです。眠いし、寒いし、話し相手もおらず退屈です。早く日が昇ってしまって、家に帰れないかな。
そう思ってはいても、緋色の太陽が頭を出して、海辺に少しずつ光が満ちていくその時になると、毎年のことではあっても、じっと見入らざるを得ないものがありました。

「個人」が止まる時間。それは、今枝さんがおっしゃったように、「人智を超えた空間に身を置いている」ときにだけ訪れる瞬間なのではないかと思います。
父と私は互いに言葉を交わさないまま、てんでばらばらの場所から、日が昇るのを眺めています。そのとき、私たちは関係性を解体された個人として、いえ、個人という狭い器を超えた人類の一部として、ただその場に共にいることができた。
決して良好とは言えなかった父との関係を、海が無言のうちにつなぎとめていてくれていたのではないかと、今になって思います。

 
父の姿を思い出していると、自分は実は父に似ているのではないかということが思われてなりません。
自分の本心を人に伝えることが決してうまくなかった人。いつも心のどこかに劣等感を抱えていた人。現実離れした夢想の世界に遊びがちだった人。
母はそんな父のことがまったく理解できず、いつも彼のことを手厳しく非難していました。私は、父のようになってはいけない、母の期待に沿うような人間にならなければと、いつも気を張っていたような気がします。

父は弱い人です。他者の遍在する社会の中でうまく自分の位置を見つけることができず、どこか居心地の悪い思いをいつも引きずって、どのように表現すればよいかわからないモヤモヤを、不適切な形で身近な人にぶつけることしかできない人。
その姿は、鏡に映った自分自身にほかなりません。父の弱さを目の当たりにする度に、同じ弱さを抱えた自分も、この先誰とも穏やかな関係をつくることができないのではないか、いつか他者をひどく傷つけてしまうのではないか、と怖くて仕方がありませんでした。

少女のころ夢中になってミステリー小説を読んでいたのには、そんな不安も関係していたのかもしれません。
いつも気になるのは、誰が犯人か、ではなく、なぜ犯人が罪を犯したか、ということでした。
だいたい私が好んで読んでいた大衆娯楽的なミステリー小説では、犯人には「これほど痛めつけられたら復讐せずにはいられない」というような明確な動機が用意されています。ミステリー小説は謎を解く楽しみに重点を置くものだと思うので、そのことに対してとやかくは言いません。けれども、やむを得ない理由があったら人を傷つけても許されるのか?事件という最悪の行動を起こす以外にこの人の状況を変える機会はなかったのか?と、「人を傷つけてしまった人」のことがどうも気になっていたように思います。
憎しみや怒り、恐怖といった感情は孤立や人との隔絶から生まれてくるものだと思います。そのどろどろとした、泥炭のような黒い気持ちを、少女期の自分は知っていたように思います。

文学の中で他者の憎しみとそれが招く顛末を繰り返し浴びることで、そのころ確かに胸の中に渦巻いていた孤独感や怒りを、物語のなかに溶解しようとしていたのかもしれないと思います。
不思議なことに、高校を出てからミステリーには興味がなくなってしまって、現在はほとんど読んでいません。今読んだらまた違う面白さを感じるのでしょうね。

もしかしたら、ちょっと意外な本の話だったかもしれません。でも、読む本というものはその時々の心のありようを、海面に空が映るように映し出してくれるものですから、ミステリに惹かれる私も確かに存在するということですね。
私から見たらとってもまっすぐな今枝さんにも、「意外」なお話ってあるのでしょうか。
今枝さんは、なにかに映った自分の姿を見て、はっとしたことはありますか? 


▼著者
村田奈穂(むらた・なほ)

日々詩書肆室 室長。1986年、三重県久居市(現・津市)生まれ。ブックハウスひびうた管理者を経て現職。共著書に『存在している 書肆室編』『映画と文学が好き!人情編』(日々詩編集室)。

次回、今枝による第5便は、5月中旬に公開予定。
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初回アップ日:2024年4月21日(日)
責任編集:今枝孝之


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