土屋敏男さんと柳澤大輔さんが語りつくした!電波少年的ドキュメンタリーとノンフィクションの近未来
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日テレの名物プロデューサーとして一世を風靡し、新たな挑戦を続けている土屋敏男さん、話題になる企画・運営やバズるWEB制作を手がける「面白法人カヤック」を経営する柳澤大輔さん。二人はノンフィクションやドキュメンタリーが大好きとのこと。今回、お二人にSlowNewsを使っていただいたうえで、対談をしていただきました。
ノンフィクションを友達とシェアする価値
司会 今回、我々スローニュースが取材を依頼させていただいたところ、土屋さんと柳澤さんから「対談をやってみたい」とご提案いただきました。お二人でノンフィクションを語りあうことにはどんな意義があるのでしょうか。
柳澤 はい。これは私たちが本を、人と共有することが大切だと考えているからです。人とシェアすることは、ビジネスの可能性も広げるほかに色んな意味があるのですが、それは追ってお話しするとして、まずは土屋さんとどんな形で作品を共有しているかをお話ししましょう。
私と土屋さんは、弊社、面白法人カヤックが拠点としている鎌倉で本や映像を見ては、二人で紹介しあって、何が面白かったのかを語り合っています。
土屋 本も映像も私が気にいった作品を柳澤さんに紹介して読んでもらうと、柳澤さんから僕とは全く違う反応が返ってくる。なるほどそんな見方があるのかとか、そんなところが面白いと思うのかと、とても刺激的なやり取りになる。これをこの1年ほど続けてきたのです。
僕たちは映像で言えば「ドキュメンタリー」、本で言えば「ノンフィクション」、このジャンルが大好きなんです。
柳澤大輔氏(右)と土屋敏男氏(左)
柳澤 大好きですね。「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったもので、一人の傑物を描いた評伝ものは、人間の思考や自我がどんどん肥大化してしまう様を追体験できる。経営者の私にとってはなるほどこう考えるのかとか、その時々の状況や環境で進むべき道を選択する意味の大きさを感じさせます。
それを土屋さんと共有すると、どうなるか。土屋さんはドキュメンタリーの作り手ですから、作り手の視点での感想を聞かせてもらえるわけです。事実をもとに編まれていくノンフィクションですが、やはりそこには書き手の視点、つまり作家の生き方や考え方、時には恣意性が現れる。そこがどこなのかを読み解いていくことで、作家の筆致からもその時代を生きている者の視点を読み取ることができるのです。
土屋さんの本の読み方も、とても興味深い。
土屋 本を読むスタイルもお互いに違う。僕は寝る前に30分ほど本を読むのですが、寝床には40冊以上の本が置いてある。そこで毎日、違う本をちょこちょこと読んでは、寝付いてしまうわけですが、ある意味、つまみ食いしながら自分のアイデアに変えていく。言い換えれば、本屋で立ち読みしてはつまみ食いするスタイルで、スローニュースは寝る前に本屋に行かずともネット上でそれができちゃうのです。本読みにとってかなり便利なコンテンツだと思います。
柳澤 そう、読み方が私と全く違います。私は一気に完読するタイプ。ただし、しっかりとは読んでいない。人はいつ、どこで、どんな心境によって本を読むかによって、つかもうとする情報が違っているもの。だからとりあえず最後まで通読することで、その時に何か一つでも得るものがあれば、それで良しとしています。
土屋 僕も通読はしています。また教養高い難しい本でも毎日1ページくらいずつ読んで、2年くらいかけて読むこともあるんです。
柳澤 なるほど!そうすれば最初のひらめきから、2年間通して色んな感慨を持って本を読めるかもしれませんね。
土屋 今回、スローニュースの中から二人で読んでみようと選んだ佐藤優さんの『資本論の核心』は、すごく難しい本だった。そういう意味で、僕にとっては今回は「新たに触れたジャンル」という感じです。僕の枕元には帝政ロシア時代の劇作家、アントン・チェーホフの小説があるけど、これも難しい。登場人物の名前が長すぎて覚えられず、キャラクターをつかめないまま1ページも読めば力尽きる…(笑)。でもこれも僕にとっては面白い経験なんです。
柳澤 私も『資本論の核心』は難しかった。壮大な歴史をもとに書かれているので、相当な教養がなければ書ける作品ではない。佐藤優さんのすごみを感じます。それでも、その中に断片的に自分の価値観に近い主張が出てくるところが面白い。たとえば、なぜ現代にマルクスの「資本論」が注目を集めているのか、背景事情が分かります。
土屋 いま、いろんな意味で資本主義や民主主義が行き詰まっている。グローバル資本主義の行き過ぎで格差が生じ、都市が肥大化して地方が疲弊しています。これを柳澤さんは早くから見抜いて、鎌倉で「地域資本主義」をやっているわけですよね。
柳澤 その問題意識はやはり資本主義を研究したマルクスには見えていたのかなと。やはり、経済政策とか経営とかみんな過去に同じ失敗を繰り返している。では、なぜ失敗したのか、そこから何をやれば上手く行ったのか。それを言語化する作業はとても貴重だと思いましたね。私もいま地域通貨に取り組んでいますが、これも過去にたくさん失敗例がある。同じ轍を踏まないように、かなり本を読んで研究しています。
土屋 柳澤さんの仕事にはすごく共感しています。鎌倉に住んで歩いていけるコミュニティを作ろうとしている。かたやインターネットでは、世界規模のつながりを既に持てるようになっています。そういう意味でノンフィクションはドメスティックな事情を世に知らしめているわけですが、スローニュースでは、世界中どこにいてもそれが読めるわけでしょ。なかなか革新的です。
ノンフィクションに求めているのは、人間の不可思議さ
土屋 『粉飾の論理』(高橋篤史著)も僕にとって今回はじめて触れたジャンル。経営者がなぜ違法な粉飾決算をしてしまうのか。その経営者側の論理が描かれている。僕にとっては、お金の魔力に取り付かれた人が、経済を単なる数字としてとらえるようになり、やがて人まで騙してしまうことまで当たり前になるんだなと受け取りました。
そういう人が世の中にはたくさん蠢ているのかなと、どこかで共感することを拒否してしまう。分厚いガラスの向こう側を眺めているような感じでした。
一方で、同じ経営者として柳澤さんには最もセンシティブに読めてしまう一冊ではないですか。
柳澤 経営者は誰にでも自分の成績表である決算書をよく見せたい気持ちはありますからね。そうすることでステークホルダーから評価されたいし、評価されることで株主や社員も安心して投資したり、働いていくれるという面もある。だから「粉飾をしたい」という悪魔のささやきは、そんな気持ちにつけ込むものでしょう。でもこれに手を染めるのは、社会への裏切り行為に他なりません。
そんな私が『粉飾の論理』を読むと、ふたつの側面が見えてくる。
ひとつは、組織の同調圧力の怖さ。一言で粉飾決算と言っても歴史のある大企業では、たとえばバブル崩壊時に業績が低迷したときにやってしまった粉飾が組織の中で何代にもわたり脈々と引き継がれていたりします。それを引き継いだサラリーマン経営者もまた先代がやってきた粉飾を改めることなく、申し送りしてしまう。組織の「同調圧力」に人はなかなか抗えないという例だと思います。
一方、この本には、若いIT系ベンチャー企業経営者の話が出てきますが、これは法の隙間を見つけて粉飾してしまったという例です。こちらはどちらかというと世の中の仕組みが未熟なところを突いて「ハックする」という感覚が近いのかもしれません。
土屋 なるほど。人間の弱さがむき出しになるわけですね。やはり共感できないものほど、読んでみる大切さがあるかもしれません。
世の中には今、格差が広がっているけど、僕なんかは超富裕層の世界には絶対にいけない。でも粉飾をする人は、お金をツールとして使いこなそうとする富裕層と、普通の人の間にいるような気がしますね。お金の知識はあるが、どこか倫理や哲学が足りないというね。
柳澤 これからはAIを使って粉飾を見破る方法もどんどん進化していくのでしょうね。『粉飾の論理』を読んで、この方法は現代では無理だと感じるものもありましたから、すなわち社会はより良くなっているのだなという感想も持ちました。一方、手口も巧妙になっていくから、どこまでいっても、粉飾を巡る監督官庁や司法と、悪質な経営者との闘いはいたちごっなのかもしれません。
私は「悪いことをしたらお天道様が見ている」という教育を受けたので、いつか悪事はばれると思っていますが、一方で中学生の時、塾の同級生でテストのたびにカンニングしている人がいました。カンニングでいくらいい成績をとっても本番で受験に落ちたら意味がないのになと思っていたら、その人は本番の試験ですらカンニングして合格してしまった。その時、もしかしたら人生はハックしてなんぼという価値観の人もいるのかもしれないなと思いました。
人間ってなんだ?
土屋 僕はエモーショナルなノンフィクションが読みたい。人間って何なのか、人間って不思議だなと思わせてくれる作品が好きなんです。それは現場ごとの場面、場面に宿っている。電波少年で首相官邸にアポなしで突撃して取材相手が困惑したり、レポーターまで涙しちゃうようなそんなエモーショナルな現場感覚があるものにひきつけられる。
そういう意味で森功さんの『平成経済事件の怪物たち』からのワンピースを取り出した「テレビで放送された贈収賄」は、面白かった。
司会 リクルート事件当時、国会での追及をなんとか緩めようというリクルート側が、追及の急先鋒だった楢崎弥之助に500万円を渡す様子が隠し撮りされ、放映されたというものですね。これでリクルート疑獄は世間の大変な怒りを買って急展開していきます。
土屋 その時の背景事情が克明に描かれていて、江副さんもインタビューを受けている。まさに当時、贈収賄の仕組みとしてリクルート・コスモスの未公開株を配るというある種の発見をしたのが江副さんです。
柳澤 それこそ「ハック」ですね。
土屋 贈収賄にならないという自信からか、いろんな人まで未公開株で買収されていく。こうして江副さんは逮捕され有罪となるわけですが、それからも亡くなるまでビジネスはやめなかったと言うし、創業カリスマの江副さんが去ってもリクルートは存続し、よりすごい会社になっている。あれだけの大事件を経ても人や会社は生き残る。この不可思議さは、ノンフィクションを読まないと味わえないでしょうね。
柳澤 やっぱり人間が面白いんですよね。
土屋 そうだと思います。ゼロからスタートした人が時代の寵児になって、誰も知らないまま死んでいく。その分からないままの一人が江副さんだった。
なぜ人は、エモーショナルな追体験にひきつけられるのか
司会 実は、年初に掲載された「アメリカ軍は何を隠したのか 原爆初動調査の真実」は、読者の方々に好評をいただきました。NHKスペシャルで放送されたものを、取材班がどのようにスクープにたどり着いたかが克明に描かれています。70年前の話ですが、臨場感のあふれる作品でした。
土屋 取材者の視点で描かれていて、現場感がある。まさにドキュメンタリーをさらに記者の視点を盛り込んでノンフィクションの記事にしたもの。謎解きのような感覚で読み手は記者の行動を追体験できる作りになっている。原爆の放射能のリスクという真実が隠されてきた怒りや苦しみなどエモーショナルな感覚も味わえて、これぞノンフィクションの王道だと思いました。
柳澤 それは調査報道支援も掲げているスローニュースの大きな価値ですね。その存在になれれば、読者ばかりでなく作り手もスローニュースに参加することになる。メディアとして新しいノンフィクションを作ろうという気概を感じます。
かたや『松竹と東宝 興行をビジネスにした男たち』(中川右介著)は、事実がたんたんとつづられる歴史書です。松竹や東宝の話は知っていたが、同時代に宝塚も並行する形で興っていることが知れて面白かった。そこは人間ドラマという形の面白さではないが、資料的な価値のある本でした。
土屋 これを読めば伝統芸能の歌舞伎と今の芸能界が地続きに繋がっていることがわかる。それぞれが仕事をしている業界でも、その成り立ちを知ると見えてくるものが豊富に見つかるね。
スローニュースが提供する「読書」のこれから
司会 さて今回は、お二人でスローニュースを使って、読書体験をしていただいたのですが、どんな感想を持ちましたか。
土屋 面白いのはやはり「全文検索」ができることです。例えば、元伊藤忠商事の社長で、後に民間人初の中国大使となった丹羽宇一郎さんは『粉飾の論理』で登場人物として描かれ、社長時代の錬金術を暴かれている。そんな丹羽さん自身の『習近平の大問題』と言う著作もスローニュースで読めてしまう。ノンフィクションの登場人物の著作が読めるという体験がかなり面白かった。
柳澤 スローニュースは「全文検索」によって、書籍の資料的な価値を飛躍的に高めていると思います。
私は新たなサービスとして誰がどんな本を読んだのかが可視化できるようにしてほしいな。
土屋 なるほど。例えば、柳澤さんは経営者なのでメルカリの山田進太郎さんが読んだスローニュースの記事や書籍が分かると、それを参考にして本を読みたいと思うでしょう。つまり色んな方のプレイリストが出てくると面白い。
柳澤 そうそう。または「あなたが読んだ本は、この人も読んでいる」というレコメンドがあったり、その人とその本についてSNSで語り合ったりできるかもしれない。いま、土屋さんと語り合っているようにね。
こうした読書コミュニティがスローニュースから生まれてくる仕掛けを期待したいですね。そうすることで一つの作品を通して人と人が繋がっていけば、ノンフィクションの価値や可能性は飛躍的に高まると思います。
土屋 僕は映像作家として書き手にも注文を付けたい。
やはり映像のドキュメンタリーにはエモーショナルな感覚を視聴者にどう伝えるかという視点で作られているし、小説もしかりです。一つの物語と言う意味で、今後はフィクションとノンフィクションというカテゴリーも境界があいまいになっていくでしょう。読者は、共感したり、面白いものを求めているからです。
そうした環境になったとしても、「事実は小説より奇なり」と言われるように、やはりノンフィクションには優位性があるのですが、事実を念頭にドキュメンタリーやノンフィクションを編み上げる作家は、フィクションと同様にエモーショナルでストーリー性のあるものが求められるようになるわけです。そのテクニックを身につけるのは意外と難しい。
柳澤 それこそ、土屋さんの言う人間に対する興味を掻き立てる作品ですね。電波少年でやられたように、喜怒哀楽のあるリアルな人間の物語が読みたいです。
土屋 フィクションもノンフィクションも一つの事象に対して一人の作家が対峙して作品に仕上げていくわけですが、同じ現象でも、別の人間が書いたら全く違うストーリーになります。
つまりノンフィクションにも作家性というフィクションが介在しているわけです。ですから、物語を編む力はノンフィクションにこそ必要だと思いますね。そうすることで、本当に読者の期待に応えてほしいと思います。
構成/撮影:藤岡雅