伸一さんの朝比奈玉露
日本三大玉露生産地である静岡県朝比奈にて、「朝比奈玉露」を生産している方へのインタビュー第二弾。
多くの方に朝比奈玉露のことを知ってもらい、どのような想いでお茶づくりをされているのかを伝える手伝いができれば嬉しいです。ぜひ、最後までご覧ください!
なお今回ご紹介する皆さんは、全て手摘みで収穫した茶葉を自分の工場で揉むことで、最高級の玉露をつくる生産者さんです。
生産者紹介
第二回の今回は、宮崎伸一さんです。
朝比奈で唯一ご自身で菰(こも)を作り、玉露づくりをされています。
菰というのは、お茶(玉露、てん茶、かぶせ茶)の収穫前において、新芽を日光に当てないように被せる覆いの一種。その元となる稲からご自身で育てられているのは、朝比奈では現在伸一さんのみ。奥様の久仁代さんとお二人で玉露づくりをされています。
伸一さんと玉露の関わり
伸一さんは、お父様の体調が芳しくなかったことから18歳のときに工場で働き始めたといいます。朝比奈では玉露づくりが一般的であったため、ご両親の跡を継いで玉露をつくることは自然な流れだったそう。それから、年に何度か京都へお茶のつくり方を学びに行き、朝比奈で玉露づくりをしながら京都へお茶を卸し始めます。
なので、京都と静岡どちらのお茶事情もご存知の生産者さんです。
その後、お茶が新たに加工食品として位置付けられ、原産地表示が義務付けられることになりました。それにより、朝比奈でお茶を作っていた伸一さんは京都のお茶屋さんへ卸すことができなくなってしまいました。
そして、10年ほど前から今日まで、朝比奈で生産したお茶を主に静岡のお茶屋さんに卸しているそうです。
伸一さんと菰づくり
伸一さんの玉露の特徴といえば、ご自身で作られた菰(こも)を使った玉露づくりと、京都でお茶を学んだご経験です。
<菰>
日本茶の中で、玉露やてん茶、かぶせ茶は収穫の20日前になると菰をかけて日光を遮断します。そうすることで、苦味の元となるカテキンが少なく、旨味や甘味成分のもととなるテアニンが多く含まれるようになります。玉露を飲んだことのある方は、その旨味の意味がわかると思いますが、煎茶では味わえない特別な味わいが生まれます。また、海苔のような香り「覆い香」も被せることで生まれます。
茶畑に被せるものは、菰のほかに寒冷紗やよしず、わらがあります。
最近は、稲から作る菰よりも手軽で便利な、黒い寒冷紗というナイロンの資材が一般的になりつつあります。
菰と寒冷紗の違いによって大きく味や色が変わることはないそうですが、菰の方が口当たりのまろやかさや柔らかい(みるい)葉っぱが多くなるそう。
また、一枚の菰で遮光性に優れながらも茶畑から見る木漏れ日の美しさは格別です。そして、寒い時期には霜がお茶の大敵となりますが、菰は最適な温度・湿度を保つことが出来ます。
菰も受け継がれるべき伝統の一つだと感じます。
伸一さんと京都
京都と静岡ではお茶のつくりかたや品種も多少変わります。
例えば、摘むタイミングです。京都ではお茶っぱの先が開ききったら摘み期であるのに対し、静岡(朝比奈)ではみるい(=柔らかい)葉を好むため基準は場所により様々です。
また、品種も京都でよく育てられる「あさひ」を伸一さんは今も少量ながら作られているそう。
気候や土壌の関係から、その地に適する品種は異なります。品種の違いがあるのも、京都でのご経験がある伸一さんの特徴と言えるでしょう。
伸一さんのこだわり
伸一さんのお茶は、お茶屋さんが求めるものに合わせて作られています。お茶屋さんが求めるお茶は、飲んでくれるお客さんの求めるものを反映しています。そのため、お茶屋さんが求めるお茶を何回も聞きお茶屋さんが欲しがるお茶を追求して現在のお茶につながっているそう。京都のお茶屋さんから静岡のお茶屋さんへと卸す先が変わったことで、お茶のつくりかたも変わり、当時は大変だったと教えてくださいました。
最後に
伸一さんの姿勢として、等身大でお茶と真摯に向き合っている印象を受けました。色々と手を伸ばすというより、求められたものを実直に作る。ご夫婦で自分たちの働き方に合ったお茶づくりを追求し、だからこそ手間のかかる菰づくりであっても作り続けられるのではないかと感じました。
ご自宅にはたくさんの写真が丁寧にまとめられていて、そのお写真を見せながら丁寧にお話ししてくださいました。お茶もお菓子もお出ししてくれた奥様の久仁代さんは、おもてなしの心がいっぱいでいつも笑顔で話しかけてくださいます。とても和やかで仲の良さが伝わるお二人です。