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日本橋川と日本橋 その四

スローリー余話
川と橋と美味しいもの#28

日本橋河岸(写真提供:中央区立京橋図書館)

江戸開府当時、徳川家康は摂津の佃村の森孫右衛門一族をお抱え漁師として江戸に移住させ幕府への上納する白魚の漁をさせていました。そして森氏は幕府に献上する以外の余った魚を売りさばく幕府公認の市場として日本橋に魚河岸が誕生したと言われています。

日本橋魚河岸(写真提供:中央区立京橋図書館)

日本橋の北詰めには記念碑も残っていますが関東大震災で被災し築地に移転するまで300余年、日本の中心地である日本橋に魚市場があったのです。

江戸時代に日本橋で誕生した「はんぺん」

当時、海の資源が豊富だった江戸湾で獲られた鮫のヒレ(フカヒレ)は長崎・出島から高級食材として清国に輸出され、その残った鮫の身を活用してつくられたのが「はんぺん」の発祥だと言われています。そして今も江戸時代の発明品「はんぺん」をかつて河岸のあった日本橋でつくり続ける老舗があります。(以下、『東京Slowly² vol.3』最新号より)

日本橋の発明“純白の美味しさ”

神茂 日本橋本店

日本橋魚河岸の発明「はんぺん」は今も日本橋でつくられている

1688(元禄元)年に「神崎屋」の屋号で創業。江戸時代、鎖国の時代の希少な貿易相手だった中国への輸出品として日本橋で製造されていた鮫を原料とした「ふかひれ」。この“ふかひれ需要”で余った鮫肉を日持ちする加工品として誕生した『はんぺん』。冷凍技術がない時代に、日本橋魚河岸の商人の知恵から生まれた“江戸の味”である。

明治時代、皇室への御用にあたり発行された『御門艦』

明治初期には、現在とほぼ変わらぬ食材や製法などが確立して現在に至っている。鮫は気仙沼や焼津などから仕入れ、丁寧に血合を手作業で処理し1度こした後に山芋などとともに石臼で練り上げ再度濾し美味しさを整える。仕上げは熟練の職人さんが木型で整形、茹で上げて完成する『手取りはんぺん』は雪山を思わせる美しさ。そのきめ細かい食感に確かな魚の旨みが凝縮した“純白の美味しさ”は江戸から続く日本橋の発明だ。

神茂 日本橋本店
〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1-11-8
03-3241-3988
営業時間:月-金10:00-18:00 土・祝10:00-17:00
定休日:日