ベルとサンディ

 ベリアルのサンダルフォンに向ける感情は極めて複雑怪奇である。サリエルに対しては蟻の行列観察に数時間付き合ってあげるくらいの優しさがあるのに(これは「堕天司に勧誘してやろう」「引き入れた方が良さそうか見てやろう」という下心だけじゃできない)、サンダルフォンに対してはいちいち当たりがキツイ。

「キミって、ヴァージン?」

「失楽園」6話2節。初配信時にはもはやベリアルと言えばコレというくらいツイッターで大人気だったこのセリフ、不思議なのが言葉はふざけているみたいなのに顔はガチ怒り。

 その前のセリフ(上図左)の表情のままでも成立しそうなセリフなのに、なぜか実際には笑顔が消える(上図右)。このセリフは「ルシフェルはキミを性的に愛玩していたんだろう?」という、サンダルフォンとルシフェルを同時に侮辱する意図がある。(なお「000」6話2節にはこの台詞の対とも言える「旅の中で特異点に男にして貰ったのか?」という台詞があるが、いずれにせよ「サンダルフォンが信頼を寄せる相手を、サンダルフォンごと侮辱する」という点は同じ)この言葉選びはもしかしてファーさんが言った「お前(ルシフェル)の愛玩用として(サンダルフォンを)飼ってもいいがな?」(「どうして空は青いのか」6章1節)にかかってるんじゃないか。
 これはサンダルフォンがルシフェルに対して心を閉ざし、反逆したきっかけになった言葉でもあるんだけど、「愛玩用」という言葉には「何もしない・できないでいいからただ側にいてほしい」という愛着の気持ちが当事者の少なくとも片方(かつイニシアティブを握っている方)には不可欠なわけで、あの怒りの形相でよりにもよってこの一件を引っ張り出してきたベリアル、と考えるとなんかもう、もうなあ、複雑なひとだよこのひと。
「理想の助手」としてルシファーのためだけに存在していたであろうベリアルは、当のルシファーをどれだけ愛そうが如何に尽くそうが全く何の感謝も労いも向けられたことがない。それなのに「天司長のスペア(いつ出動するかは未定)」でしかない末っ子のサンディが、その天司長であるルシフェルに「愛玩用=何もしない・できない存在」としてでも「生きて側にいる」ことを望まれているんだとしたらもうそんなん妬ましいに決まってる。あの怒りの表情は、もしかしてそこから来てるものだったんじゃないだろうか。

「彼(ルシフェル)が死んだのはキミのせいなのに?」

 続いては「000」6話4節のこのセリフ。ルシフェルがバブさんに襲撃されながら反撃できなかったのはサンダルフォンのせいだったとか言い出したのも、アレたぶん動揺を誘うためというのもあるんだろうけど「命がけで守られたサンダルフォンが妬ましい」が根底にあっての意地悪の比率が結構高かったんじゃないかと思う。オレが同じことになったってきっとファーさんはそうしてくれないし、オレが同じことをしてもきっとファーさんは一顧だにしないのに、どうして出番もないスペアの分際でそんなに愛されているんだ、ずるい、傷つけてやる、痛めつけてやる、もっと傷ついてもっと痛がれ、という。
 なまじっかルシフェルとルシファー、サンダルフォンとベリアルの容姿が似ているから余計にこう、「自分が本当に求めている(しかしそれを認めてはいけない)ルシファーとの関係」をルシフェルとサンダルフォンの間に幻視してしまうんじゃないだろうか。こんなに頑張って働いて体張ってあっちこっちに虚々実々ばらまいてファーさんのために東奔西走している自分が毎日のように「使えん」って言われてるのに、サンディは何もしないでただ中庭にいてルシフェルと珈琲飲んではたわいもない話をしているだけで「何もしない・できなくていいからそこにいてほしい」と望まれている。しかもルシフェルが恥も外聞も(サンダルフォンの自由意思を尊重する気持ちも)すべてかなぐり捨てて「愛玩用に下さい」とお願いすれば、ルシファーはそれをたやすく叶えてしまう。毎日のようにモラハラ食らいながら激務に追われている時、何もしてない何もできないくせにそこまで望まれてる奴を目の当たりにするなんて、そんなのそれこそ気が狂う。感覚として言うなら「今年入ったばかりの新人OLが入社1年目で専務と寿退職するのを見せつけられる、十年単位でワンマン社長に振り回されて婚期も逃したお局秘書の気分」が近いんじゃないだろうか。

「”終末”は獣の救済でもあるんだぜ?」

「000」7話1節。この後さらに「特にキミ(サンダルフォン)には有用だよ」と続け、原則として不滅の星晶獣は「役割」「契約」に縛られて永遠に使役者に尽くし続けなくてはならないこと、今は理解者である騎空団の仲間に囲まれて「普通」に暮らせているサンダルフォンの百年後や千年後は「誰が獣の心を労る?」と畳み掛けてくる。これにロゼッタが「星晶獣の一生が空虚だなんて極論だわ」と反論するも「人間はルシフェルに何か報いたか」「感謝以前に存在すら知らなかったのでは?」と来られると詰まってしまう。500歳のロゼッタは2000歳を超えるルシフェルの孤独について語られると詰まらざるを得ないし、本当に孤独だったかどうかはルシフェル本人にしかわからないことだし。
 「000」でのベリアルの言葉にはところどころ、自分と相手を無意識に同一のものと捉えている(相手と自分の価値観・優先順位の違いについて無頓着?)ような気配が見える。サリエルに「オレ達のボスはファーさんだろう!」と言ったり(サリエルが本当にルシファーに恩義や「ボス」としての忠誠を感じていたかはイマイチ不明)、「理解者たちは消えていき、世界を守っても誰にも何にも報われず、倦んだ徒労感を抱いて永遠を生きる……」と言う(今までのルシフェルやこれからのサンダルフォンには必ず「倦んだ徒労感」が訪れる・訪れていたに違いないという断言)など。回想では「相手の考えや気持ちに寄り添うことで引き入れる」という手法を使っていたのに、なぜ今はそうでないのだろう。
 これはベリアル本人の性格の問題というより、もしかしてなんだけど二千年間「気配」を消し続けたことによる疲労で判断力が落ちてるとかそういうのだったりするのだろうか。天司が気配を消し続けるのは「人間で言うと不眠」(「000」1話3節)に当たるとガブ様も言ってたし、現状のベリアルを簡単に「メチャメチャ睡眠不足のひと」と同一視するのは軽率だろうけど、でもそう考えると何となくこの違和感というか、今まで注意できてたことになんで今気が回ってないのこのひと?っていうのは何となくスッキリする気がする。気がするだけだけど。
 そして「相手の本当の気持・価値観・優先順位に頓着せず、自分と相手の境界線を曖昧にしている」としたら、その時ベリアルが語ることのほとんどは彼自身の本音ということにならんだろうか。ならんかなあ。

「終末」の動機

 ベリアルが「終末」をもたらそうとする動機はおそらく三つあって、一つは「使役者=ルシファーの望みを叶える」という獣の本能、二つ目は「上手くできれば自分もルシフェルのように愛されるかもしれない」という儚い期待、三つめは「世界ごと終わってしまえば、もうつれない主に何の見返りもなく尽くし続けなくていい」という自暴自棄。でも本人はそんなにちゃんと自分の中で整理しているわけじゃなくて、「とにかくファーさんの望みを叶えればオレも幸せになれるはず、だって使役者に尽くすのがオレ(=星晶獣)に与えられたオーダーだもの」で思考を止めてるんじゃないだろうか。
 たぶん彼は「愛されないまま愛して尽くして仕えることにもう疲れた」という本音に向き合うことにすらもう疲れている。その本音に向き合い続けるのは「背信=『ルシファーの(理想の)助手』というアイデンティティの喪失」になるから。
 彼はおそらくかなり早い段階で自分の本音をどっかでは把握していて、でもそれを常に意識していると精神が崩壊してしまうか、星晶獣として存在することができなくなってしまうので考えるのをやめているんじゃないだろうか。星晶獣は「与えられた役割を自ら否定する」と消滅してしまうっていうのはラブライブコラボのニヒリスちゃんが実例として存在している。とは言え「『見かけた空の民は全員殺す』という役割自体を忘れていた」ジェイドは普通にウェルダーと暮らしていたわけなので、この「役割の否定による消滅」というのはあくまで自意識の問題に過ぎないんだろうか…?

屈折するベリアルの怒り

 ベリアルにとって本来の怒りの対象は「残酷なプログラミングを施しながら責任を取らない造物主」ルシファーに他ならないんだけど、それをストレートに出すと「背信(=ルシファーへの否定=『ルシファーの助手』としての役割の拒否)=星晶獣としての消滅」になるからできない。
 ルシファーに向けたいのに向けられない怒りが反射した結果、第2の怒りの対象になるのが「自分ほど造物主を愛しても尽くしてもいないのに造物主に寵愛されている同僚」ルシフェルだけれども、これも「自分よりルシフェルを選んだルシファーの判断への否定=背信」になるからできない。結果として正面からルシフェルを否定したり食って掛かったりするより「完璧で、公明正大で、無私無欲で……実に退屈な奴だった」(「失楽園」4話1節)という「無関心」(あるいは「こんな退屈な奴のどこがファーさんはそんなにいいんだか」という消極的な嫉妬)のレベルに留まっているのではないか。
 ベリアルの嫉妬は二度の反射を経て、第3の対象として「自分が欲しくても得られなかったものを持ち、かつルシファーに対する否定にならない存在」であるサンダルフォンに至る。だからこそ愛され求められながらそれに気づかなかったサンダルフォンに対する当たりがキツイし、その割に「”終末”は獣の救済でもあるんだぜ?特にキミには有用だよ」とある種の共感、というか、自己の投影と言うべきだろうか。嫉妬込みの自己投影って、一番キツく当たるやつじゃないだろうか…苦労してきた母親がまあまあそれなり幸せそうに育っている自分の娘に対して「早めに世間の厳しさを教えないと」を口実に自尊心叩き潰したりするような…自分と相手の境界が曖昧になってるから何の手心もなく痛めつけちゃうし、「相手にとっての最も大きな不幸」を勝手に自分の尺度で想像してそれを回避するよう脅迫したり…うーんうーん心当たり多くて私の胃が痛くなってきたぞうーん…うーん…。

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